この記事へのコメント
映画の一場面を見るようで、実際の沈没現場もそうだったろうと思わせる一首です。
螺子(ねじ)は難読でどうかと思いましたが、当時の海軍ではこのように表記したかもしれず、むしろリアリティーがあります。沈むのが軍艦であることを象徴する一語です。「日の日没」がややくどいので、「日没」だけにできたら尚よいかと。
ミッドウェーでの敗北が戦争の帰趨を左右したことを思うと、ここは大和などではなくミッドウェーでなければなりませんね。
Posted by 亀尾美香 at 2017年08月12日 18:25
私の読みが浅いのだと思いますが、「日の日没」という言い回しで6月5〜7日に海難事故でもあって歌われているのか、ミッドウェイ海戦そのものを歌っておられるのか、迷いました。

「靴、螺子、食器」の並びで海戦より現代の海難事故を思ってしまいました。海戦を思わせる単語が「螺子」で、靴と食器に挟まれているのでインパクトがないように思えたのです。

螺は螺旋の螺、螺子は「らし」とも読み、捻子、螺子と同じで、「らし」と呼ぶものを使っていましたので、「らし」と読みたい気分です。
Posted by 鎌田章子 at 2017年08月12日 23:54
>ミッドウェー海戦の日の日没や靴、螺子、食器、波にのまれて

 ミッドウェー海戦は日本海軍がこれに大敗したことで太平洋戦争の分岐点となった、とされる海戦です。多くの戦艦や航空機が海に沈んだ。
 当然多くの人命が失われたわけですが、砲撃や機銃掃射など戦いがしずまり、海面には夕日がさしており、そこに靴、螺子、食器、など小さな日常的なものが浮いている。勿論戦艦や飛行機や、そして多くの人間、日本人もアメリカ人も、あまた浮遊しているわけですが、生々しいものではなく、小さな日常的なもので表わしていることで、そこの人間の愚かさや、かなしみ見る気がします。
 螺子、は浮かぶのかなぁ・・・。
Posted by 弘井文子 at 2017年08月14日 11:23
ミッドウェー海戦の日の日没や靴、螺子、食器、波にのまれて

「靴、螺子、食器」では、物が多すぎる印象を持ちました。多くの人命が失われた比喩だとしても。
『白鯨』のラストに棺桶が浮いてくるような、インパクトのある何か一つに絞って欲しかった。
Posted by たかだ牛道 at 2017年08月19日 14:34
ミッドウェー海戦、時は昭和17年6月、真珠湾攻撃からたった6カ月後のこと、2カ月前の4月にはB25による本土爆撃を日本は受けています。しかもミッドウェー島に駐留する米側の兵力等も日本側は誤認していました。この海戦は負けるべくして敗けた一戦だったと思います。
一首のように背景を日没に設定し、波に呑まれる船等を構成する物体、兵士の生活を思わせる物をならべて、このように映像として詠むことに、言いようのない違和感を覚えました。靴、螺子、食器とあるけれども、この物の名称を読み反芻する読者に、この歌は何を期待するのだろうかと、ふと嫌な疑念(感傷的気分を惹起する)を抱きました。日没は映像になりますが、歴史的背景は収まりきらない。はみだしてしまう。忘れてはならない歴史でしょうが、作者とて見たわけではない。ただ、作者は平和を願い、非戦・反戦の一首であるとは思いますが。
Posted by かわすみさとる at 2017年08月20日 09:55
上の句からはミッドウェー諸島に沈む太陽の色、そして下の句からは穏やかなさざ波の音が聞こえてくるような印象を持ちました。
ミッドウェー海戦の激しい戦局は日本の大敗で終わったとしても、米軍側にもたくさんの犠牲者・負傷者がいたはず。太平洋に沈む夕日やサンゴ礁の波は海戦の最終日も、その後も何ら変わることがないのに、「靴、螺子、食器」をあげることで、戦争の愚かさ、人間の悲しさ、虚無感が伝わってくるように思いました。
Posted by 高橋有希子 at 2017年08月20日 17:58
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