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第32回ネット歌会詠草/10
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第32回ネット歌会詠草/8
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2017年08月02日
第32回ネット歌会詠草/9
五能線の海の落暉を見つめゐし君を思へり 健やかなりき
【選歌集計結果=6票】
【投票者=太田青磁/かわすみさとる/渋谷和夫/竹田正史/馬淵のり子/村田 馨】
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posted by 短歌人会 at 00:21|
Comment(8)
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この記事へのコメント
情感あふれる良い歌と思いました。
五能線の海の落暉とは、具体的にはどういう状況なのか、五能線の鉄路が風景のレイアウトに海上に沈みゆく夕陽とともにあるのか、あるいは五能線の列車の窓から海上に沈みゆく夕陽を眺めているのか、考えさせられますが、いずれにしても「五能線の海の落暉」とは、とても美しいフレーズであると思います。
海上に沈みゆく夕陽を見つめていた君は、思えば健康だったということは、現在は健康ではないのであり、すでにこの世の人でないのかも知れません。
淡々とした下句がしみじみとした余情を伝えてくれる歌であると思いました。
Posted by かわすみさとる at 2017年08月09日 20:34
沈む太陽を眺めながら君を思い健全であったことを回想している。五能線というローカルな固有名詞が効いていると思います。こんなふうに感傷的な歌を詠めるなら五能線に乗ってみたいと思いました。
海のない県では詠めない歌であります。
Posted by 馬淵のり子 at 2017年08月09日 20:37
「五能線の海」とは何だろう。
ここがわからず、鑑賞できませんでした。前評、かわすみさんが、2つの読みを提示しておりますが、もし、そう読ませたいのであれば、読者がそう読むことができるようキチンとした日本語で詠うべきだ、というのが私の意見です。
評も入っていますので、皆さんの素敵な読みに期待したいと思います。
Posted by
桑原憂太郎
at 2017年08月13日 20:44
五能線から見る海は風光明媚として知られ、JR東日本もリゾート列車を走らせるなど観光に力を入れています。私も是非行ってみたいと思っています。
さて、本作。「五能線の海」に疑義を呈する御意見もありましたが、私は五能線の車窓からの光景とすんなり分かりました。五能線という固有名詞の強さが効果的だったと考えます。
落暉。美しくも切ない。時制から、この光景を見た「あなた」は病に伏せっているか、他界していると考えられます。一字空けも結句を導く「タメ」として効いていると思います。
Posted by 村田馨 at 2017年08月18日 19:53
五能線は青森県から秋田県の海岸沿いを走る列車で、落暉と呼ぶにふさわしい夕陽を味わえる鉄道だと取りました。主体と君は車中から景色を望んでいたと読みました。
「「五能線の海」の落暉」」ではなく「五能線の「海の落暉」」と読みましたが、「五能線の海の落暉」というフレーズが作者の内面にある景色として固有の強さを持っているのであれば、響きのよい調べとしてそのまま鑑賞してよいのではないでしょうか。
下句の鑑賞は前評者のとおりしみじみとした情感があり、この歌を選びました。
Posted by
太田青磁
at 2017年08月23日 12:15
「五能線の」を「五能線に」に換えたら意味は通りやすくなるのかなと思いましたが、意味と調べのどちらを優先するべきなのか、助詞の効果について踏み込んでよいのか迷い、追記としました。
Posted by
太田青磁
at 2017年08月23日 12:56
かわすみ様、馬淵様、桑原様、村田様、太田様、コメントをありがとうございました。
11年前、夫に誘われ、白神山地に行くついでに五能線に行き夕日を見てきました。タイミングよく海に落ちる夕日を見ることができ、まさに「落暉」と呼ぶべき輝きの夕日でした。
その後、夕日を見たくて日本海側を旅しましたが天候が悪かったり、着いた時には日が沈んでしまったりと「落暉」と呼べるような夕日に出会いませんでした。
私に五能線の落暉を見せてくれた夫は昨年他界しました。
題が「海」と知った時、海から離れた場所に住んでいるので歌材となる経験は多くはありません。
「また回想の歌?」と揶揄されそうですが、正直なところ、これしか出なかったのです。コメントを読ませていただきながら、昔を懐かしく思い出しております。有り難うございました。
Posted by 鎌田章子 at 2017年08月28日 22:15
作者が発表されて、鎌田さんの作品とわかって嬉しく思いました。
いつも、愛のあるすてきな歌だと思って拝見しています。
今回は海ということで他の作品に票を入れましたが、落暉ということばにふさわしい風景を想像して楽しませていただきました。
回想の歌、たくさん作ってください。
ご主人を思われているお気持ちがほんとうに優しくてすてきです。
Posted by 蒼あざみ at 2017年08月29日 01:04
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評も入っていますので、皆さんの素敵な読みに期待したいと思います。
さて、本作。「五能線の海」に疑義を呈する御意見もありましたが、私は五能線の車窓からの光景とすんなり分かりました。五能線という固有名詞の強さが効果的だったと考えます。
落暉。美しくも切ない。時制から、この光景を見た「あなた」は病に伏せっているか、他界していると考えられます。一字空けも結句を導く「タメ」として効いていると思います。
「「五能線の海」の落暉」」ではなく「五能線の「海の落暉」」と読みましたが、「五能線の海の落暉」というフレーズが作者の内面にある景色として固有の強さを持っているのであれば、響きのよい調べとしてそのまま鑑賞してよいのではないでしょうか。
下句の鑑賞は前評者のとおりしみじみとした情感があり、この歌を選びました。
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題が「海」と知った時、海から離れた場所に住んでいるので歌材となる経験は多くはありません。
「また回想の歌?」と揶揄されそうですが、正直なところ、これしか出なかったのです。コメントを読ませていただきながら、昔を懐かしく思い出しております。有り難うございました。
いつも、愛のあるすてきな歌だと思って拝見しています。
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回想の歌、たくさん作ってください。
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