この記事へのコメント
「私は貝になりたい」を思い浮かべました。
作者は貝ではなく貝殻と言っているところにな
にか覚悟のようなものがあると感じます。
貝殻は、容器として、装身具として、そのまま思い出の一つとして宝物のひとつにもなり得ます。
何も語りたくないのではなく飾らない大切なものになりたいのではと読みました。
Posted by 馬淵のり子 at 2017年08月09日 21:06
一読して意味が通る素直な一首で好感をもちました。仮定としての転生の対象が生きた貝でなく貝殻でありたいというのは、意味として前の評者の馬渕さんの言う通りかもしれません。

ただ、三句の「海底の」は、作者はどのような心理をもって入れた字句なのでしょうか。海底というと深くしづかなイメージを私などは持ちますが、貝は陸地に近い海に生息し、けっこう賑やかなところの生物のような気がします。そのような些末などうでもいいようなことを考え出すと、この一首がとても難解な歌のように思われて来ました。
「海底の」の三句を、貝ではなくて貝殻に掛かる字句と解すればいいとか、いや貝と貝殻と下の句全体に掛かるのだとか、平明な歌のようで結構、考えさせられました。
Posted by かわすみさとる at 2017年08月15日 12:21
私も「私は貝になりたい」を思いました。
語らねばならない何かを抱えたまま口を閉ざししている貝ではなく、語らねばならない何かなんて何にもない、背負っているもののない、空っぽで身軽な貝殻になりたい、そんな風に読みました。
海底で貝は口を開けて中身が見えてるように思うのですよね。だから、海底で口を開けても何にもないよ、という貝殻なのかなと思いました。
Posted by 蒼あざみ at 2017年08月22日 00:55
 桑原憂太郎です。
 コメントにございます通り、「私は貝になりたい」を下敷き、あるいは、パロディにしたような歌でございます。
 あのドラマの主人公の諦念、あるいは無念さといったものを、あえて露悪的に詠ってみました。といっても、下敷きのドラマを知らないと、その露悪的な気分の悪さが味わえない弱さがございます。
 8月の歌会ということもあり、提出させていただきました。

 コメントをいただいた皆様、ありがとうございました。今一度、しっかり読ませていただき、推敲します。(これが、ネット歌会のいいところですね。繰り返し評が読めるのは、作者にとっては最高なことです)。

 あとそれから、高良さんから、評をいただきたかったなあ(笑)。
Posted by 桑原憂太郎 at 2017年08月29日 20:45
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