この記事へのコメント
もう今は海水浴場でも砂浜でもない「元海水浴場の元砂浜」のさびしい風景が、「からから」という音でよく引き出されています。同じ言葉を2回使うと普通はくどく感じることが多いですが、この歌の「元」の場合はそれも計算のうちでしょう。おもしろい表現です。
Posted by 津和 歌子 at 2017年08月13日 23:37
上の句で「からから」下の句で「元」「元」と、海辺の波のごとく字句を繰り返されると、いくら繰り返しが森羅万象の基本とはいえ(海辺の波がその最たるものとは言え)、繰り返しなき新味を期待する私のような者の眼からすると、うざったらしく思われました。
ただ前の評の津和さんの指摘のように、それも作者の計算(手)の内だとすれば、読者としては、ただああさうかと首肯するほかありません。「元」「元」の意味がふかく、例えば、「津波」に洗われて砂浜がなくなり、海水湯の用をなさなくなったという震災の悲惨な背景が事実としてあったとしても、です。
Posted by かわすみさとる at 2017年08月14日 14:07
 この歌はとても印象的でしたが、下の句でひっかかりました。上の句のオノマトペ「からからと」は、体験がなければなかなか出ない良い表現。また下の句の技巧的な「元」の反復、チャレンジしていて良いと思いました。
 一方で、下の句の意味は詠み手としては不本意かもしれませんが、なんとなく福一原発事故にからめて読んでしまいました。そのため、鳴き砂が多い日本海側と福一の影響がある太平洋側で、砂浜の印象が行ったり来たりして不安定な印象になったのでした。
Posted by 安野文麿 at 2017年08月14日 20:10
ダムや砂防ダムが出来て、海まで砂が届かない現象を歌われたと思います。
全国的に砂浜が減少しているので海水浴場だった砂浜が荒磯になってしまう現象が起きていると報道されていますね。
上の句の「波がひくたび石が鳴る」が現状を言い表していると思います。
私も下の句が引っかかりました。意図的に「元」を使われたと思うのですが、効果的だったか疑問に思いました。
Posted by 鎌田章子 at 2017年08月15日 13:17
 元海水浴場、と表現することで、まず人で賑わう海水浴場が想起されてから、すうっと人が消え寂しい海になります。元砂浜、で人のいない砂浜から砂浜ではなくなり、どろどろの荒地が現れます。ページをめくるような、三段階の変化です。
 元、という言葉で見事にそれ以前の姿を浮かび上がらせています。そして今はからからと石が鳴るのですから、四段階目の状態、穏やかな寂しさが場を満たしているのだな、とわかります。
 時間のことを詠んでいるのだと思いました。
Posted by 国東杏蜜 at 2017年08月25日 22:22
票を入れてくださった方、コメントをお寄せいただきました皆さま、ほんとうにありがとうございました。作者の蒼です。
元、元、と、くどい表現、これでよいのかとかなり悩んでいたのですが、好意的に解釈していただいたり、やっぱりくどいと反省したり、とても勉強になりました。
とりわけ国東さんの「時間のことを詠んでいる」とのご指摘に、ああそうだったと、私は無意識にそのことを言いたかったのだと、気づかされました。
この夏はじめて訪れた海が閉業した海水浴場で、歌の通りからからと波の引くたびに礫が引かれてゆくところでした。
礫ばかりのこんなところが海水浴場だったのか…と不思議に思っていたのですが、礫浜があまりに自然だったので、帰宅してから調べたところ、礫浜に砂を入れて海水浴場に造成した場所だったようでした。
詳しい理由はわかりませんでしたが、東日本大震災の年に閉業となっていたので、震災と無関係というわけでもないのかもしれません。
いずれにせよ、閉鎖された建物やひと気のない海のさびしさを感じて、時代だなぁと思ったのでした。
今回もとてもよいご意見をありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。
Posted by 蒼あざみ at 2017年08月29日 00:05
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