この記事へのコメント
琵琶湖の遊覧船ミシガンは大津を拠点にしていたと思う。湖東の米原には散々行ったことがあるのだが、残念ながら私は未乗船。「ミシガン」という名に惹かれるが、たぶんかなり大きな船体なのであろう。
さて、本作はテーマとして海ではなく湖に着眼したところが特徴。しかし、琵琶湖は「淡海」と呼ばれることから、十分に「うみ」である。遊覧船の航行による水脈の美しさが存分に味わえる。河野裕子の「たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり」とは対照的な明るさを抱いた。
近江は元来「淡海(あはうみ)=あふみ」の意味であるから、「近江のうみ」は重ね言葉にならないだろうか。やや気になった。
Posted by 村田馨 at 2017年08月13日 12:37
三句の「ひとはけ」がどうしても気になりました。万葉集以来の先輩歌人たちにならい、航跡はぜひとも古いかも知れませんが「跡」を使用していただきたい。
さらに「ミシガン」という名は、私には琵琶湖に似つかわしくないと思われます。滋賀県が五大湖のミシガン州と姉妹都市である関係から、致し方がないことですが、現実の遊覧船は「ミシシッピ」的ですよね、どちらかと言うと。
前の評者の村田さん指摘の重ね言葉の件は、たしかに近江は淡海ですけれども、近江は滋賀と同じく地名でもあって、これはこれでいいと私は思います。作者はただ単に「海」を重ねたかったのではないでしょうか。過去にも実例があります。
あと、気になる点は「近江」を出すと現時点では河野裕子の「たつぷりと真水を抱きて」にむすびついてしまう。慈円の「ほのぼのとあふみの海を漕ぐ舟の跡なきかたにゆく心かな」は、近江の海と言い回していますが(先の実例でもありますが)、「琵琶湖」という立派な湖名があるわけですから、「近江の海」などと、もって回さないで、現実にある名を使ってみたら如何でしょうか。
Posted by かわすみさとる at 2017年08月14日 10:32
遊覧船ミシガンの引くひとはけが近江のうみのひかりを乱す

近江の海(み)夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ(柿本人麻呂)
の前例があるし、「近江のうみ」は問題ないと思います。
また、べったりと穏やかな湖面を乱すミシガンの航跡が絵画的で、水尾や航跡と違い「ひとはけ」が
よく一首を支えていると思いました。


Posted by たかだ牛道 at 2017年08月19日 14:07
この歌は選歌で見落としていたのですが、たかだ牛道さんのおっしゃる通り、ひとはけは効いていると思います。
引く・ひとはけ・ひかり、ミシガン・近江・うみ・乱すという言葉のリズムもよく響いているのではないでしょうか。
「遊覧船ミシガン」は実際の遊覧船の固有名詞なので、ミシシッピとは置き換えられないと思います。
Posted by 太田青磁 at 2017年08月23日 11:51
前評者がおっしゃっているように、
「たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり」
河野裕子の代表作を連想されることを、作者が十分意識したうえで作られた歌ではないかと思います。
目的地にむかうまでの休憩地点として何度か立ち寄ったことしかない人間に、琵琶湖はいつも穏やかな表情を見せてくれました。
ミシガンは外輪船だとあります。よく言えば陽気、しかし、ちょっと騒々しい印象を残しながら進んでいく遊覧船ではないかと想像します。

整った韻律でさらりと詠まれた巧みな叙景歌だと思い、何度か音読してしまいました。
そうするうち、私は「近江のうみのひかりを乱す」の下の句から、「琵琶湖=日本」「遊覧船ミシガン=トランプ大統領就任後のアメリカ」という暗喩が意図されているのではないかと感じました。
そう考えると「ひとはけ」は美しすぎて、もっとガサガサしたものを感じてしまうのですが、抑制のきいた静けさが全体を支えている美しい歌だと思います。
(作者の方の意図と異なる解釈をしてしまったかもしれません、ご容赦ください。)
Posted by 柊慧 at 2017年08月26日 06:21
みなさま、丁寧に読んでいただきありがとうございます。


この前、近江八幡に吟行にいってきました。
山の上から湖を見下ろした際の実景と、琵琶湖の遊覧船なのにミシガンと名づけるセンスがおもしろいなと思ったところから出来た歌です。
近江とくると河野裕子さんの歌が頭をよぎるのですが、雰囲気も異なる歌なのでここまで言及されるとは思っていませんでした。
改めて歌の持つ喚起力の強さを思い知らされました。
Posted by 葉山健介 at 2017年08月30日 21:32
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