この記事へのコメント
結句「プラタナスさえ」から、プラタナスさえそうだ、ましてや人間は…、という含意がうかがえます。が、初句〜4句のさまを老いたる人間にあってはどのようにイメージすればよいのかが、いまひとつつかめませんでした。老い人の肌はかさついて皺も多くひび割れたりしていて、若かりし頃の美しい素肌と言えるようなものは見えないであろう、ぐらいに受け取ればよいのでしょうか。「プラタナスさえ」の「さえ」をやめて、老プラタナスのさまを詠んでいるのだが、一首全体が老い人のさまの暗喩としても読める、という作り方にできないだろうか、と思いました。
Posted by 斎藤 寛 at 2017年11月18日 07:47
人間よりはるかに長い時間を生きる木も年取って樹皮が変わってしまう。
まして人間は年取って皮膚が乾燥したり見た目も変わってしまうという歌意でしょうか。
作者が多くの木の中からプラタナスを選んだのは思い入れがある樹だからでしょうか?
プラタナスは確かに年数が経つと樹皮はひび割れますが、その後はがれてきて中のつるっとした皮が現れ、さるすべりの幹に似た感じになります。
それで人間の老いの比喩として持ってくるのはちょっと抵抗を感じました。
作者が目にしたプタタナスは樹皮が割れている状態だったのかな?
Posted by 海野 雪 at 2017年11月18日 11:18
調べたところ、わが国にプラタナスは3種あり、また個体によっても樹皮の様子は異なるようです。海野さんが感じられているように、作者もプラタナスの樹皮は美しいと思っており、だからこそ「〜さえ」という表現を用いているのだと思います。
プラタナスは生長につれて斑状に剥離する表皮も厚みを増して、新宿御苑の新宿門近くの古木(樹齢200年?)のようにひび割れて分厚くゴツゴツした樹皮となっている個体もあります。
ただ、人間の老いの年齢に匹敵する樹齢のプラタナスはまだまだ美しい樹肌を維持していますので、海野さんの「人間の老いの比喩として持ってくるのはちょっと…」も理解できます。
私は、この歌の歌意を「どんなに美しいものも、老いとともに若さという魅力は失われてしまうものだ」と素直に読むことができました。
Posted by 肥塚しゅう at 2017年11月21日 09:43
斎藤さん、海野さん、肥塚さん、丁寧なコメントをありがとうございます。
プラタナスの樹皮の美しさが好きでしたが、この秋はじめて老木のプラタナスの樹皮を観察して驚きました。
すべすべのプラタナスでさえもこんな風に変化すること、に感慨深い思いになりました。
海野さんの教えてくださったような、そこから更にはがれてサルスベリのようになるというのはますます知らない世界で、ぜひ見たいと思いました。
素肌と表現したことで人間のことを暗喩したとは思ったのですが、老いて魅力が失われるとは思っていたわけではなく、樹皮の表面だけで判断できない「長く生きていることの深み」を暗喩したかったので、ここから更に推敲して完成させたいと思います。
読みをお伺いできてほんとうに勉強になりました。
次回もよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
Posted by 蒼あざみ at 2017年11月26日 22:21
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