この記事へのコメント
「スズキです、/だなんてなんの/つもりだ吉田。/この男煮ても/焼いてもどうにも 。」という句切りで読みました。
素朴に読めば吉田という男は“自己同一性の不快”を感じていて、その時その時でいろいろな名を名乗るのでしょうか。あるいは彼は役者で、「スズキ」という役で舞台へ出るべく練習中なのでしょうか。

いづれにせよこのような文体で詠まれているからには、これは「スズキ=吉田」に捧げるオマージュなのだろうと思いました。もうほんとうにしょうがねえやつだなあ、とか言いながら実はそれは相手を称えている台詞であるというようなことはよくあることで、そうした詠み方なのだろうと思います。

結句の「どうにも」と「。」との間に半角アケがあるのですが、これは何か意味があるのでしょうか。あるいはネット上の表記でよくなされるように、「どうにも。。。」とかいうふうにしてもよかったのではないかと思います。
Posted by 斎藤 寛 at 2017年11月10日 20:19
酔った友人吉田君がスズキだと電話してきたのかと思いました。吉田君はよくこの手を使うのでもう手に負えないと半ば呆れているという場面かと。
作者にとってスズキという存在が気になるところです。種明かし待ってます。
Posted by 馬淵のり子 at 2017年11月12日 22:45
これは何のことだか、どういう状況だか全くわかりませんねぇ。でも、そのわからない所が全く可笑しくて、不条理なユーモアの中に意識が持って行かれる快感を覚えてしまいました。

馬淵のり子さんのコメントを読んであぁなるほどと納得はしましたが、それでもこの「吉田」と作者のちぐはぐでデコボコなコンビネーション、とても不可解で良いビートがありますねぇ。
Posted by 高良後礼 at 2017年11月12日 23:13
馬淵さんと高良さんのコメントを拝見しました。僕はこの歌はどういう状況なのだろうと慮ったり、この後に種明かしがあるのだろうと思ったりはせずに、ただただこの一首だけを読んでその不条理さを楽しめばよいのだろうと思います。と言いながら僕も上記コメントで彼は役者で…とか書いてしまいましたが、そういうのは要らぬお世話だったかも知れないと思います。人名というのは当人の意向にはお構いなしに付けられているものであって、こんな不条理なことがあろうか、とか、そんな感覚で詠まれたのだろうと思いました。ペンネームはある時点で自分で自分に名付ける名ですから、少なくともこうした不条理さからは免れています。僕は短歌の投稿を始めた頃に全くそんなことは思わずに本名のままにしてしまいましたが、何かペンネームを自らに付ければよかったかなぁ、と時に思ったりします。
Posted by 斎藤 寛 at 2017年11月14日 19:09
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