この記事へのコメント
訃の報のその名を消去しがたくて日付書き込み住所録閉づ

亡くなったゆえに住所録にはもう不用になったから消し去ろうと、その準備に入ったがすぐには消し難い気持ちがでてきてしまい、結局亡くなった日の日付を記してしばらくは(多分)残しておこうという気持ち。良く分かる歌で過不足なく詠われていて良い歌と思いました。
Posted by 永井秀幸 at 2017年11月09日 16:18
訃の報のその名を消去しがたくて日付書き込み住所録閉づ

この歌に共感をするのは、ある程度の年齢を経たものでしょう。
友人、知人、縁者がぽろぽろと歯の抜けていくように、死亡していく年齢。
人は二度死ぬと言われています。自分の死と自分を記憶してくれている人の死と。
下句「日付書き込み住所録閉づ」によく、作者の死者に対する思いが表われています。
Posted by たかだ牛道 at 2017年11月21日 22:09
私のケータイ電話帳にも、この世では連絡出来ない方々の名が登録されていて、何年経っても削除出来ません。
たかださんの「自分の死と自分の死を記憶してくれている人の死と」に、だから削除したくないのだと気付かされました。
作品と評があっての短歌と改めて気付かされました。
Posted by 庭野摩里 at 2017年11月21日 23:04
作者の肥塚しゅう です。 皆さま、コメント有難うございます。
私自身、50歳代までは住所録の整理の仕方を変えたりする都度、亡くなられた方を整理してきたように思います。(例は殆どなかったと思います)
昔の手書きの住所録であれば、見え消し線などにより故人が完全に消えてしまうことはありません。
しかしながら、今のパソコン管理の住所録や、庭野さんのおっしゃられるようなケータイ電話帳では、そのデータを削除することは記憶を含めて故人を完全に消し去ってしまうようで、私はいつも躊躇してしまいます。
また、この歌をつくった時点では、自分の死のことは全く頭になく意識していませんでしたが、コメントをいただいて、自分もいつかは知人の住所録からそして記憶からも消し去られてしまうのだ、という思いに至りました。(当たり前のことですが)
皆様からの評をいただいて、歌は読みによって広がりをもっていくものだと改めて気づかされました。
次回の歌会もどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 肥塚しゅう at 2017年11月28日 18:17
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]