この記事へのコメント
先月の総選挙の投票日前夜、安倍首相の演説の応援に集まったひとたちを詠まれているのだろうと思いましたが、このような題材の歌は、長く残したいなら詞書を付けるとか一連の中に置くとかいう措置が要るでしょう。

「永久」は「とわ」と読みました。「ヤマト」とあえて言われているのは、沖縄の人々(ウチナンチュ)からのヤマトンチュへの視線を意識してのことだろうと思います。あるいは作者の方は実際に沖縄在住または沖縄出身なのかも知れません。ただ、そうであれば「日章旗」というアイテムはかつて沖縄の本土復帰要求のデモで掲げられたというような経緯もあり、単純に“日章旗=右翼”という図式には括れないところがあると思うので、初句〜2句をこのままにするなら「ヤマト」という語は出さない方が良かったのではないでしょうか。

それと、こうした時事詠についてこのごろ思うのですが、歌の言葉は言霊としての働きがあるので、時代への絶望をそのまま詠むとその作品自体が絶望的な時代を呼び込む力を持ってしまうのでは…? という気がします。(と言いながら僕も先月の東京歌会に、近未来のダークツーリズムの行先は全焼した国会議事堂だろうというような不吉な歌を出してしまったのですが…)
Posted by 斎藤 寛 at 2017年11月12日 07:39
私も斎藤さんのように上句は「先月の総選挙の投票日前夜、安倍首相の演説の応援に集まったひとたちを詠まれているのだろう」と読みました。
下句のヤマトは戦艦大和のことと読みました。
戦争のため海の底深く沈んだヤマトは永遠に浮かび上がることはなく、多くの戦死者も救済されることはない。
上句の段々と戦争へ近づいていく世情と大和の悲劇を対比させているのではと思いました。
Posted by 海野 雪 at 2017年11月12日 08:39
近頃、政治的情況を詩の言葉として詠むような作品にお目にかかる機会がめっきり減りました。これも時代のなせる業なのでしょうか。’状況ではなく’情況’。内的な詩の言葉によって掬い取られ鍛えられた’情況’の普遍化。定型詩がもっとも苦手とするところかもしれません。朝起きて顔を洗って飯を喰う式の方法論では、この一首、そのココロは簡単に解けないかも。いずれにしても時代に感応したサブカル風の屈折した立ち姿、私の好みではあります。
Posted by 松岡 修二 at 2017年11月14日 21:48
この作品を一読した時、わたしには「秋葉原」=「電気街」=「○○人の爆買」という図式が浮かびました。「日章旗林立」は、日本の誇る優秀な電化製品の比喩ではないかと思えたのですね。永久に救済あらぬヤマトよ、は、今となっては事実検証の難しい戦時中の出来事からいつまでたっても逃れることを許されない「日本」のことではないかと・・。短歌形式だからこそ表現のできる、憂国の哀しい歌のように感じました。
Posted by 柊慧 at 2017年11月15日 21:44
 先の選挙の街頭演説のことと思いますが、ヤマトはちょいと共有できない。
 カタカナ書きされちゃうと、私は、宇宙戦艦ヤマト(戦艦大和じゃなくてね)とかヤマト運輸を連想しちゃって、作者の意図からからどんどん離れてしまいました。なので、推敲の余地があるのではないか、というのが、私の意見です。
Posted by 桑原憂太郎 at 2017年11月17日 23:46
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