この記事へのコメント
上句で父親が故人であることがわかります。下句は、その父親の新聞愛が描かれるのだろうと想像します。たとえば数紙購読していたとか、隅から隅まで読んで、諸事万端に詳しかったとか、そんな類いです。しかし、実際は「読む」ことと対極にある父親の姿が登場します。読者の予想を裏切るわけですが、そのことによって、くっきりと「お父さん」が立ち上がってくるから不思議です。
 紙媒体としての新聞が身近にあった時代を刻印したようでもあり、楽しい作品でした。
Posted by 吉岡生夫 at 2018年02月10日 10:44
一読、すっとぼけた感じでいい歌と思いました。
新聞を読むのが好きだったことと、新聞の上で爪を切るのは、実は父親の属性として関連性がないんですが、こうやって構成されると一首として成立するという技巧性が感じられるのと、ちょっとした叙情性もあって(もう父は存命していないと暗示されている)、いい作品になっていると思います。
字数の関係で結句が尻切れになっていますが(新聞の上でした、ときちんと時制を示すべきなのでしょうが)、私としては、ここはオーライです。
Posted by 桑原憂太郎 at 2018年02月10日 10:49
私の父もそうでした。
いつも新聞と一緒に移動して、出勤する時も手に新聞、食事の時も読んでいて(行儀悪い)、爪も切りました。
新聞の記事が食卓の話題であり、父の意見表明であり、子どもたちへの言い伝えの糸口でした。
そんなこと忘れていたのですが、この歌を読んですっかり思い出しました。
父が亡くなって、思い出すと悲しいのであまり思い出さないようにしていたのですが、悲しくなく思い出せました。
きっと少しユーモラスに歌われているからなんですね。

Posted by 蒼あざみ at 2018年02月12日 22:02
謹言実直な人柄が伝わってくる歌ですね。結句は余っても助詞を補いたいです。
Posted by 太田青磁 at 2018年02月20日 10:48
新聞から片時も離れないぞ、というお父様のポリシー(?!)が感じられるお歌だと思いました。新聞の上で爪を切るということ以外にも、お父様の色々な癖や意外な一面などをちゃんと記憶にとどめているのだろうなと思わされました。愛のある観察眼が光っています。
Posted by 笹渕静香 at 2018年02月26日 19:54
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