この記事へのコメント
ペンギンをひとりと数えるのは正確ではなく(一羽なのかなあ?)、読者としてはすんなりと作品の鑑賞に入っていけないのが、残念かなあと思いました。
「供に連れ」は正しい表現なのか、私も自信がありません。「連れだって」あたりが無難でしょうか。
春霞の「さえ」がちょっと緩いかなあ。なぜ、「さえ」なんだろう、と思いました。
Posted by 桑原憂太郎 at 2018年02月16日 23:41
憂鬱なペンギンひとり供に連れ春霞さえ目に新しい

憂鬱なペンギンは何を表すのだろうか。
現実のペンギンなのか、何かの喩なのか。
憂鬱なのだから、このペンギンは鬱屈したものを抱えているはず。
これは読みすぎだと思うけれど、同性愛なんかが潜んでいても面白いと思う。
となると、鳥ではないので一羽ではないでしょう。

もっと言えば、憂鬱なペンギンは人でもなく作者の「思い」なのかもしれない。
すると「供に連れ」も可能だと思う。

作者の目に「春霞さえ目に新しい」
と思わせる何か。
ほんのわずかな時間で消えていく春霞ですら新しいと感じる。
それが憂鬱から抜け出す兆しになったのではないか。

ペンギンの散歩を見に動物園に行こうかなと思わされた一首でした。
Posted by 鎌田章子 at 2018年02月17日 10:38
桑原さん鎌田さんコメントありがとうございます。
ペンギンは一人ではないよなぁ一匹かなぁと考えながら、一羽という当たり前の単位を忘れていました。
でも本物のペンギンでもないので、私の中では一人が今のところしっくりきています。
「さえ」が緩いというご指摘はまったくその通りだと思います。推敲が必要です。
それにしても鎌田さんには大胆な読みをしていただいて驚きました。
そんな風にも読めるのか、と思うとワクワクしました。
Posted by 大澤朋子 at 2018年03月02日 23:41
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