この記事へのコメント
「事務の手順をあたらしくする」のは作者か、作者と同じ職場の事務の人かで、読みが異なります。
前者なら「自分は否定的な言葉を使う傾向があるから、その方向に向かわないように自分の事務仕事の手順を改めた」と読めます。
後者なら「作者の否定的な方向に向かう言葉を聞いた事務の人が、作者の言葉に呆れたり聞くのが嫌になったりして、手順を改めた」という意味に読めます。
どちらか今のところ判断できませんので、今日のところは一旦ここで終わります。みなさまの解釈をお聞きしたいです。
Posted by 津和 歌子 at 2018年02月12日 21:00
 私も前評の津和歌子さんと同じ意見でした。
上句と下句のつながりがわからないので、読めませんでした。
Posted by 桑原憂太郎 at 2018年02月16日 23:34
上句と下句の繋がりが分からないので読めないという桑原さんの意見と同じです。
Posted by 永井秀幸 at 2018年02月22日 16:41
上句は自分自身を俯瞰して捕らえた言葉で、下句はその言葉を飲み込んで「手順を改めること」で否定に向かう気持ちを紛らわせているのかなと思いました。主語が書かれてなければ、あたらしくするは自分の動き(津和歌子さんの前者)でよいかなと思います。

読みすぎなのかもしれませんが、ひとつの処世術のようにも感じられて味があるのではないでしょうか。
Posted by 太田青磁 at 2018年02月22日 17:15
主語が書かれていないので、前者の主体があたらしくした、でよいかなと思いました。つい否定がちになる言葉を飲み込んで、仕事の手順をあたらしくするというやり方は、ひとつの処世術のようで味があると感じました。
Posted by 太田青磁 at 2018年02月22日 17:18
津和さんの前者の読みに近いですが、新しくするのは自分の事務の手順だけではなく部署全体であるかと読みました。
部下の仕事を否定するのではなく、間違いやすいなら手順を改めればよいのだと気づく、一見すれば「できる上司」ですが、そこに至るまで数々の否定の言葉を発してきた自分に対する自戒の念が込められているのではないかと思います。
Posted by 大澤朋子 at 2018年02月25日 12:43
みなさま、コメントをありがとうございます。

作者の意図としては、太田さんや大澤さんのご意見に近いのですが、下句の主語がないので読みが分かれてしまうというご意見、重く受け止めました。

三句のあと一字あけにして、仕切り直しの意味で一呼吸おいて、「事務の手順をあたらしくする」の主語は「私」であるとほのめかしたつもりでしたが、読みがわかれるということは、成功していないのかも知れません。

もう一度、歌の構造から考え直してみようと思います。ありがとうございました。
Posted by 岡本はな at 2018年02月26日 17:31
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