この記事へのコメント
一連の不祥事などで、安倍政権退陣などのデモのあった国会前で3万人のなかの独りであろう自分の心の動きを確かめている場面と感じました。
地方在住の私もこの時事詠に胸を打つものがあり共感します。
Posted by 馬淵のり子 at 2018年05月10日 11:16
 作者の意識したしという一市民とは(議事堂前という前提から)議会制体制下の一構成員たる市民をさすのであろう。そして、それが民主主義下のものであるか全体主義下のものであるかは、差し当たり読者には問われてはいない。市民という概念は、残念ながらいまの日本では確率されて(成熟して)いない。議事堂という権威の前で、一市民を意識したしという感懐(自覚)は、内容が希薄であろうと濃密であろうと、絶望であろうと希望であろうと、切実あろうとなかろうと、この歌ではあいまいとならざるをえない。議事堂を前にして何らかの感懐は誰しも抱くものではないか。この歌が、いろいろ考えさせてくれるのは、悪く言えば場面が異なっても成立するせいである。例えば、単に見学であっても、民主主義をもとめるばあいであっても、より深刻なデモ参加のばあいであったとしても、この歌は成立する。言うならば解を読者の自由に任せる歌である。考えさせる点でおもしろい歌だとおもいました。
Posted by かわすみさとる at 2018年05月10日 11:18
この国の在り方は、為政者だけが決めるのではなく、市井の人々の声が反映されて成るものでは・・・声を荒げず淡々と表わした作品と受け止め、静かな主張に票を入れました。
Posted by 庭野摩里 at 2018年05月23日 23:41
作者の太田です。

馬淵さん、かわすみさん、庭野さん、丁寧な評をありがとうございました。

社会をどのように短歌にするのかについて試行錯誤をしているところです。これからも表現を工夫してまいります。
Posted by 太田青磁 at 2018年05月29日 17:20
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]