この記事へのコメント
美醜は主観の決定の範疇にあり、その基準は百様百態であることは言うまでもないが、美しい、美しい、美しいと三度も三十一文字に囁かれば、虚も実となり醜も美となりブーメランのごときあざやかな反転を現出しよう。句またがり破調も際立ちすぎて気にならず、この歌は短歌というより短詩であろうと思わされる。惚れた相手のものならば、へたれ文字も美しい。いな、百人が見て美しいと思う文字も世の中にはあるやも知れぬが、人の死に本来美醜はない。美しい死とはしょせん詩の中になる主観の産物である。作者はどのような気持ちで、どのような場面・時にこの歌を詠んだのか、知りたいところだ。
Posted by かわすみさとる at 2018年05月13日 20:35
 きれいな字にはあこがれますです。おまけにそれを書く人が(たぶん)たおやかな美女でありますから、慕わしい気持ちはつのるのでしょう。
 美しいの三連続が効果をだしているかは、ちょっと疑問です。前評者の指摘のように、やはり具体が欲しいと言いますか、どんな人であったのか、もう少し知りたい気がします。
 「美しい」の口語と、「逝き」の文語の併用もどうかなと思いました。
Posted by 山中 もとひ at 2018年05月24日 14:19
美しい人は美しいままに逝きたり賀状の美しい文字

破調ですが一気に読め流れがあり四句を「賀状の」と読めば
その字足らずで、一息つき、悲しさがあふれました。
「逝く」より「残る」とか存在する「美しい文字」に焦点をしぼり
前評者のご指摘の口語か文語かは、統一してほしいところです。

Posted by 西五辻芳子 at 2018年05月25日 02:01
皆さまありがとうございました。

「美しい人」にモデルがいるわけではありませんが、亡き人はただでさえ美化されるもので、それをより美しいと感じるのは、亡き人との距離がそうさせるのでは、と感じます。例えば、会わなくなって久しく、年賀状のやり取りしかしない人。その人が見目麗しく、文字も美しければパーフェクトでしょう。

ご指摘の文語と口語の問題ですが、推敲の段階で一度試みました。すると「美しき」「美しき」「逝き」「美しき」と、「き」が続いて耳障りなので、音の響きを採って「美しい」にしました(「逝き」は他の語に譲れなかったのでそのままで)。文語と口語は混ざらないよう気を付けていますが、今回は意図してそうしています。この点、ご意見を伺いたいところです。
Posted by 亀尾美香 at 2018年05月26日 22:47
 口語体と文語体について、「美しい」と「逝き」の口語と文語の不統一が問題にされていますが、どこがあやしいのでしょうか。「逝く」の連用形は口語も文語もともに「逝き」。助動詞「たり」が文語体です。問題とすべきは「逝きたり」で「逝き」ではありません。
 しかし、ここで口語体の「美しい」を採用して、強いて口語体とすれば「逝きたり」を「逝ってしまった」と書き直さなければなりません。が、文語体であれば「美しき」、口語体であれば「美しい」としなければならないというステロタイプは、ここではいかがなものでしょう。口語と文語では活用表の語幹からして違いますし、終止形では口語「美しい」文語「美し」、連体形では口語「美しい」文語「美しき、美しかる」ですが、文語統一のセオリー通りといって「美しきままに逝きたり」や「美しかるまま逝きたり」とするより、「美しいままに逝きたり」の方が私は熟れているとおもいます。文法を専門としている訳でなく断定はできませんが、この歌の場合は十分許容範囲内の言文一致あるいは混淆文といっても過言でないとおもいます
Posted by かわすみさとる at 2018年05月27日 11:12
 あっ、そうです。
 かわすみさんのおっしゃるとおりでした。
 作者の亀尾さま、失礼いたしました。
 西五辻さんにも、惑わせるようなことを言ってしまって、ごめんなさい。
 
 作者の自作自解を拝読いたしました際にも、確かに「き」の連続では、音の響きがきつくなりすぎますし、これで正解かなあとは思っておりました。
 次にかわすみさんのコメントで、「美しい」と「逝きたり」の間の何かもやもやしたものが納得できたように思います。
 文法の稚拙はさておき、思い切って発言しますが、どうも「美しい」の背後に「美しき」のこだまが響いていたような感じで。
 言いたいことがわかっていただけるでしょうか。自分でもうまく言えませんが。

 何にしろ、粗忽と浅学の件は、再度お詫び申し上げます。

 
Posted by 山中 もとひ at 2018年05月28日 09:07
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