この記事へのコメント
「樹になりたいか」の一言にはっとしました。
身を揉んでいる歌中主体に、「身を揉むことなく、今起こっている事実を静かに観て、どっしりと根を張って生きるのもまたよい」
と語りかけているように感じました。
私も心配事などあると冷静さを失ってしまいがちですが、このお歌にふっと気持ちが落ち着きました。

私も、樹になりたいです。

Posted by 本間美保 at 2018年05月13日 23:32
作中主体は、身を揉んでいる我が身を抱えているが、気がつくとさわやかな五月の風が吹いている。
「樹になりたいかと問う人のあり」は、不安な気持をいだく作中主体がふと感じた五月の風景と同化してしまいたいと思いを寄せたことを、「問う人のあり」と詠っており、たいへん上手い表現だと思いました。
一読したときは、「身を揉んで」がどのような状態なのか解りませんでしたが、調べてみると、「身を揉む」とは、身を揺らすようなとか、苦しみ悶えるといったかなり厳しい状況をいうことだと知りました。
Posted by 肥塚しゅう at 2018年05月19日 14:42
身を揉んで五月の風の中にいる樹になりたいかと問う人のあり

身を揉むということは、五月の風に抗いながら身を揉んでいるということなのでしょう。身を揉むほどの風の表現として、「5月の風」は優しすぎる気がします。
肥塚さんのおっしゃるように5月の風は爽やかな風を想像させます。
結句「問う人のあり」が四句目までの緊張感を崩してしまうように感じられました。

獣医師のおまへと語る北方論樹はいつぽんでなければならぬ

この歌を読んだ時に思い出されたのが時田則雄の歌です。私の好きな歌ですが、帯広の広大な平野で、風に抗いつつ一本で立つ大木。このゆるぎなさが好きなのですが、作者の意図と違う読みになったのかもしれません。
Posted by 鎌田章子 at 2018年05月20日 17:49
五月の風はさわやかで清々しく「身を揉む」ほどの強さがあるかという言う意見にはっとしました。わたしは清々しい風にさえも苦しさを感じてしまう主体の切なさを感じ取って、自問自答のような不安感と揺れながらもどっしりと根を張る樹の力強さに対するあこがれのようなものとの対比がよいなと思って選歌しました。
Posted by 太田青磁 at 2018年05月21日 10:15
 みなさま、選歌もコメントもありがとうございます。
本間さま 
 私は、クラゲやプランクトンなどになりたい方です。ただ漂っている生き物です。風の強い日に並木が水中のように撓っているのをボーッと見ていたときの歌でした。
 樹木を提示すれば、「力強さ」を受け止められるのは当然ですね。
 ちょっと、反省しています。
肥塚さま
 不安を抱くとまではいきませんが、少し疲れていたのかもしれないなあ、と、コメントをいただいて気づきました。
 「身を揉んで」は、思わせぶりが過ぎたようにも思います。もっとあっさり言うべきだったかも。
鎌田さま
 言われてみれば、これを作ったのは四月のことで、何で五月にしちゃったのかなと思いました。
 まだ枝葉の柔らかい時期に強風に漂うように撓う樹木のあり様を、捉えきれてませんですね。
 結句は、確かに行儀よく着地してしまった感があります。
 時田則雄のこの短歌は、私も好きです。まさか拙作から時田則雄を思い出されるとは、びっくり。
太田さま
 ぼやーと外を眺めていたら、「木にでもなりたいの」と言われただけの短歌で。意味ありげな詠みぶりは嫌味です。
 再度、反省します。

 初めてネット歌会を体験しました。
 皆様の解釈や、意見を拝見しながら、自分の考えを述べることができるのがとてもいいと思います。間違ったことを発言してしまっても、(しました!)再度考えたり、理解が深まったりできることも新鮮でした。
 今後もよろしくお願いいたします。
Posted by 山中 もとひ at 2018年05月28日 09:41
山中 もとひさま
私のコメントの書き方が悪かったですね、申し訳ありません。
私が想像したのはしなやかなで大らかなイメージだったのに、「どっしりと根を張って」と書いたら力強さを感じ取ったと思われますよね。
反省しています。。。
Posted by 本間美保 at 2018年05月28日 19:10
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