この記事へのコメント
家にもいい歳をして独身の息子がいるので、仕事を忙しくしていてどこかへ転勤になって一人暮らしになった時或いはもっと後息子が年を取った時の孤独死を心配してしまうときがあり、身につまされて取らせていただきました。

下句の日差しに眼が眩むのに春寒というのはイメージ的に相反するような気がしてちょっと戸惑いました。
まあでもそういう天気の時もあるでしょう。
作者の心象風景として捉えました。
「眩む」に作者の気持ちが現れています。
Posted by 海野 雪 at 2018年05月10日 10:03
「自らの孤独死予想」が少し硬いように思いました。「「僕きっと孤独死するよ」と子は言いぬ」ぐらいが、家庭での親子の会話らしいかとは思いましたが、描き方の違いでしょうか。
下句は、そうした子の発言を聞いた親の心境として違和感ないものと思います。
Posted by 亀尾美香 at 2018年05月13日 21:01
自らの孤独死予想を子は言ひぬ日差しに眩む春なほ寒き

上の句がまず注目される。親子の何気ない春の一日の会話の一齣なのか。子の言葉に親のうろたえる様が、第三句に表現されている。じつに重たい心理描写だ。また、子にして他意なく何ら関連のない場面であったにしても、言われた親からすれば笑えない驚きの言葉にちがいない。子に何らか事情があり、然もあらんという事情が切実であれば、春の日差しも身に氷りつくようなものであろう。作者とお子さんとの事情は、わからないが、重苦しい結末を予定してるような歌であり、心理描写が優れていると思いました。
Posted by かわすみさとる at 2018年05月17日 13:15
先の文に過誤がありましたので訂正致します。
「子の言葉に親のうろたえる様が、第三句に表現されている。」の文の箇所で、「第三句」とあるのは「第四句」のあやまりでした。訂正させていただきます。
Posted by かわすみさとる at 2018年05月18日 21:02
作者の鎌田です。

海野様 評とコメントをありがとうございました。
亀尾様、かわすみ様、丁寧な評をありがとうございました。

私の住む旭川は、春の日差しが目映く降り注ぐようになっても寒い日が続きます。早く芽吹きが来ないかと待ち焦がれる日々です。

未だに結婚の予定がない息子が、ずっと一人で孤独死するだろうと予想するのを忸怩たる思いで聞いておりました。

親として、息子の春を心待ちにしているですが、なかなか難しいですね。いつか、春が来るといいのですけれど。
Posted by 鎌田章子 at 2018年05月29日 08:41
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