この記事へのコメント
野菜室で野菜が次第に腐乱していくかのような我妻と我

長年つれ添った夫婦を、冷蔵庫の野菜室で次第にしなびていく野菜に例えた比喩は面白いとおもいました。
採らなかったのは「腐乱」の語の強すぎる選択と、結句の「我妻と我」の我が二度続く重さでしょうか。
ここは「妻とわたくし」ぐらいで、良かったと思います。
Posted by たかだ牛道 at 2018年05月12日 06:23
 言い得て妙の喩を発見されたお歌だと思います。野菜室のにおいまで感じられるようです。
 「次第にしなびる」であれば、若くない夫婦の在り様になりますが、「腐乱」では、諍いの多い家庭の惨状に読めてしまいます。
 どちらなのでしょうか。
Posted by 山中 もとひ at 2018年05月15日 13:24
 野菜室とは野菜の保存のために温度調節された空間である。この歌では、その空間は作者によって家庭という空間に擬せられている。新仮名遣いで漢字の多い散文体の中に、第四句「いくかのような」が、風船のような浮子のはたらきをしている。単純な譬喩のように見えるが、野菜室で腐乱してゆく野菜を我と我妻に見立てたのはすばらしい。全体が固有の概念の散文体であるから、「次第に」とか「腐乱」とか「我妻と我」とかの語彙は、作者の選択結果の語彙として容認されるべきだと思う。
Posted by かわすみさとる at 2018年05月17日 04:09
桑原憂太郎です。

たかださん、山中さん、かわすみさん、的確な評ありがとうございました。

この歌、「腐乱」は動かないだろうし、「腐乱」の表現がダメなら捨てようと思って提出したのですが、的確な評をいただき、もう少し、悩んでみようと思います。
4句目の口語の緩さが気になっていたのですが、かわすみさんの評で気が変わりました。ありがとうございました。

Posted by 桑原憂太郎 at 2018年05月28日 20:55
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