この記事へのコメント
>木の花が咲いたと父に伝えたい知られず過ぎるゆりの木の花
 
 ゆりのき、近年短歌の中で見かけるようになりました。私自身は見たことがありません。花は大きいようですが、緑がかった色で、同じく大きな葉の中にまぎれて、気付かりにくいそうです。
 作者は父とゆりのきの花について話をしたことがあるのでしょう。見つけたら伝えたいと思っているのだけれど、まだ見付けていない。それでもゆりのきの花は、きっとどこかで咲いている。父と作者との、淡い交流が好きなところです。
 初句「木の花が」の「木」が必要かどうか、迷うところです。
 四句「知られず」と「過ぎる」については主体がゆりのきの花(知られることもなく)から人(そこを通りすぎる作者)と変わるのですが、それが植物と人とが混とんとしてきて、面白いと思えます。
Posted by 弘井文子 at 2018年05月12日 09:23
ちょうどゆりの木の花が咲く季節です。
昨日お稽古の教室にゆりの木の花を切って持ってきてくれた人がいました。
ゆりの木の花は木の上の方に上向きに咲くので気づきにくいです。
実は私は何十年も住んだ町にゆりの木があって花が咲いているとずっと気がつかなかったのです。

私も初句の「木の花」はひっかかりました。
意味からは「ゆりの木の花が」としたいのですが、それでは8字となってしまいます。
作者が父と百合の木の花について話したことがあるなら、いっそのこと「あの花が」としてはどうでしょう。

「知られず過ぎる」は私は二つの動詞とも主語はゆりの木の花で、「ゆりの木の花は人に知られず時が過ぎていく」の意味かと思いました。
もし主語が作者なら「知らずに過ぎる」が普通ですね。
弘井さんの解釈でゆりの木の花と作者の二つの主語があるとしたらそれも面白いですが、皆さんの意見はどうでしょうか?


Posted by 海野 雪 at 2018年05月12日 10:58
私は初句と結句の「木の花」の繰り返しが効果的だと思いました。

「木の花」という言葉から古歌の「咲くや木(こ)の花」や前田夕暮の「木に花咲き〜」などが連想され、豊かなイメージを喚起します。

作者はゆりの木の花が咲いたことに気づいていて、「父」に伝えたいのに何らかの事情で伝えることができない、ゆりの木の花は「父」に知られることなく時が過ぎていく、というふうに解釈しました。

弘井さんとも海野さんとも違う読みをしましたがいずれにしても魅力的な歌だと思います。
Posted by 冨樫由美子 at 2018年05月13日 10:05
恥ずかしながら「ゆりの木」がどういった植物か知らなかったのですが、作中の「父」への優しい気持ちの美しさと、富樫さんが仰ってるように「ゆりの木」の繰り返しの旋律の美しさにとても惹かれましたので、ゆりの木のことを調べました。

とても大きくなる木で、その事を知ると大木に重なる「父」の優しさが、イメージとして真に迫ってきます。「知られず過ぎる」をどう読むかとても悩みましたが、これはやはり「父」に知らせることが出来ず、視界からもやりとりからも過ぎてしまう暗示が含まれているのかと思い、一人納得しておりますが、どうでしょう。作者の方の見解を伺いたいと思います。
Posted by 高良俊礼 at 2018年05月13日 22:34
 投票しようかどうか、とても悩んだお歌です。
 父とその子の、なんともいえない微妙な距離感や懐かしさが思われて、魅力的です。
 読者に委ねられた部分が多く、好ましいのですが、繰り返し鑑賞しているうちに、どうも読み違えてしまっている不安の方が大きくなってしまいました。
 「親子は一緒にこの場面にいるのか・いないのか」「花が咲いているのを見つけて、父に伝えたいのか・父に伝えるために咲いているのを探しているのか」「父には伝えることができるのか・それができない事情があるのか」「知られずには、誰が(何が)誰に(何を)知られないのか」
 そこまで気にする必要もないかと、これまた悩んでしまいました。

 ゆりの木、画面でしか見たことがありませんが、お父さんとゆりの木との物語も、想像を膨らませる要素ですね。
Posted by 山中 もとひ at 2018年05月15日 11:48
評、有難うございます。
「知られず過ぎる」は、(人に )知られず(花期が)過ぎるの意図で作りました。
Posted by たかだ牛道 at 2018年05月29日 12:45
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]