この記事へのコメント
下句に惹かれました。お遍路に対する作者の思いが、下句から、おおよそ窺えると思います。お遍路の後ろ姿を見ても何も考えない、何も感じないということは日常十分ありうるのですが、この歌のようにふと反応することが、非日常的というか刹那瞬間に知覚するということが、一般的で普通に多いのではないかと思います。お遍路の思いや行動に共感ないし同感をいだくとき、心に生じる波動を「我がうちに吹くひとすじの風」と表現したところに作者のじつに巧みなうまさがあると思いました。
Posted by かわすみさとる at 2018年08月18日 05:44
最近見た『花へんろ』の映像がぱーーと浮かびました。
もしかして純粋にこの歌を鑑賞するのではなく、ドラマに影響されてしまったのかもしれませんが。
作者は単にお遍路さんを見かけたのではなく見送っています。
お遍路さんのこれからの巡礼の道を思い、無事を願い、共感しています。
その思いを「我がうちに吹くひとすじの風」と表現したのが秀逸だと思いました。
特に「ひとすじの風」がいいですね。
Posted by 海野 雪 at 2018年08月19日 05:24
先行評お二人とも「我がうちに吹くひとすぢの風」を高く評価しておられますが、僕はそこまでの評価ではありません。いかにも短歌的にうまく収めたなあ、とは思いますが、その域を出ないように思いました。さまざまな5・7・5に「我がうちに吹くひとすぢの風」はさらっとうまく付いてしまうのではないかという気がします。お遍路さんという、東京近辺などでは出会えない存在を目にして見送った、という場面なのですから、もっと固有の感慨を示す7・7があり得るのではないかと思いました。あるいは、お遍路さんを見送って、われはまた日常へ戻る、というような詠み方もあり得るかも知れません。
Posted by 斎藤 寛 at 2018年08月19日 16:47
私も斎藤さんと同じで下の句が気になって取れなかった歌でした。
ひとすぢの風はどんな風だったのか、全くわからないからです。寂しく思ったのか、無事見送ってホッとしたのか、何かあればもっと読みが深まったように思いました。
Posted by 鎌田章子 at 2018年08月24日 09:07
作者の知っている人が遍路に旅立つことを見送ったのか、偶然お遍路さんを見かけお歌なのかで、場面がずいぶん違うと思いました。
このあたりをもう少し示してもらえば余計な説明を加えない「ひとすぢの風」がさらに効果をだすのではないでしょうか。
Posted by 山中 もとひ at 2018年08月24日 11:07
評を投じてくださった皆様、ありがとうございました。
かわすみさん、海野さん、斎藤さん、鎌田さん、山中さん、丁寧なコメントをいただきありがとうございました。
歌の背景は、かわすみさんのお書きくださったことにほぼ近いです。祖父母がご接待をしたりしておりましたので、お遍路さんは子どもの頃から身近な存在、決して特別なものではありませんでした。今は白装束の方は少なくなりましたが、何かの祈りとともに歩いて巡礼をする人のすがたは、洋の東西を問わず、それを見るものの心に清澄なものを残していくと私はおもいます。
Posted by 柊慧 at 2018年09月14日 23:41
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