この記事へのコメント
カーテンを閉じて午睡に入るという場面ですが、カーテンの向こう(あるいはカーテンと窓とを隔てた向こう)にはかなり強い風が吹いている。で、このあたりから半ば暗喩表現なのですが、この風は今の自分にとっての向かい風ではない。が、何処かの誰かにとっては向かい風となっているのだろう、という着想で詠まれた一首と思いました。そのように想像するのは、過去にわれにとっての向かい風があった、あるいはこの先もあり得るだろう、と思うからで、背後にそうした思いが隠されているので、「誰かにとっての…」が思いやりを含んだフレーズとなっているように思います。結句末尾「入る」という終止形にしたのがベストだっただろうか? という一点に疑念が残りました。「入りぬ」という文語脈で着地してもよかったのでは? とも思うのですがどうでしょうか。
Posted by 斎藤 寛 at 2018年08月18日 23:02
 ああ、私は、前評の斎藤さんとは、読みが違いました。
 今吹いている風は、誰かには向かい風なんだろうけど、私には関係がないので放っておいて昼寝をしよう、と読みました。
「誰かにとって」は、思いやりではなく、他人事、ととりました。ですので、「カーテンを閉じ」も、自分には関係ないよ、という動作なのではないか、と読みました。
 そうした、皮肉を効かせた面白い一首として鑑賞し、採らせていただいています。

 また、結句の「入る」ですが、ここは、確かにひっかかる。ただ、私見を述べるなら、私のような口語派としては、やっぱり文語にはしたくなくて、すわりが悪くても口語の縛りを通しちゃう、という感じではあります。もちろん、そんな窮屈な原則で縛らなければ、「入りぬ」の方が、いい着地と思います。
Posted by 桑原憂太郎 at 2018年08月19日 12:01
>私のような口語派としては…
と桑原さんが書かれているくだり、口語で詠まれる方にとっては考えどころなのだろう、と思います。例えば砺波湊さんは口語で詠まれる方と思っていたら、次第に文語が入ってきました。一方、黒ア聡美さんの歌集『つららと雉』を読むと、“私は口語で行きます”というポリシーを感じます。文語で詠む者は、ところどころ口語になってもOKでしょ? みたいな甘え(?)があるのかも知れません。
Posted by 斎藤 寛 at 2018年08月19日 19:57
桑原さんのコメントについて、「口語派…」の件だけ、上記の斎藤のコメントで触れましたが、この歌の読み方としてはもちろん桑原さんのような読み方もあり得るだろうと思います。僕も初読の時は桑原さんのように読んでいたのですが、何回か読むうちに、いや、もう少し含蓄がありそう…、と思えてきたのでした。それと、30の歌については一字アケがなくてもいいのでは? と書きましたが、この8の歌の場合は、「向かい風」の次に一字アケがあってもいいかな…? と思いました。
Posted by 斎藤 寛 at 2018年08月21日 18:53
「○○は誰かにとっての○○○」という表現は、ちょっと常套的なのですが、この作品の場合は当を得た詠み方だと思いました。
言いすぎず、言い足りなさすぎず、ちょうど心地よい風が吹きすぎていったような感じを受けます。
窓は閉めずに(多分)カーテンだけを閉めて寝てしましますし、追い風ではなく向かい風ですから、肯定的なのか否定的なのか、他の誰かのことなのか、自分に重ねて語っているのか、過去に背を向けて眠るのか、未来を望んでの一休みなのか解釈はさまざまです。
私は、そのすべてを多寡それぞれに含んだ風景とみて、鑑賞いたしました。
Posted by 山中 もとひ at 2018年08月30日 11:24
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