この記事へのコメント
風の字はみずから吹かれてふくらんで空っぽになるまだ揺れている
拝読して、新たな発見!と思いました。
上の句で、風はただ単に吹いているだけじゃなく〈みずから吹かれてふくらんで〉いるのかと、まず納得。
下の句で、空っぽになってもまだ揺れているのか!とビックリ。何でしょうか・・・風の生命の強さでしょうか。そのように勝手ながら感じました。
Posted by 笹渕静香 at 2018年08月21日 19:38
風の字はみずから吹かれてふくらんで空っぽになるまだ揺れている

漢字からイメージして詠んだ歌は既視感があるのですが、このお歌は、発想が取材に
基づいているように感じ、風自体を丁寧に詠われているところに好感をもち選歌させていただきました。
「吹き流し」等実際に観察したことをふまえて、「風の字」として詠われているので納得させてしまう
力があるのではないでしょうか。
漢字「風」を漢和辞典でひき成り立ちを調べると、甲骨文字は二種類あり一つは大鳥の姿、もう一つは大鳥が羽ばたいてゆれ動くさまを点点をつけて示し、鳳(おおとり)と風の原字は全く同じで、中国ではおおとりをかぜの使い(風師)と考えた。篆文文字は「虫(動物の代表)+(音符)凡ハン・ボン」。凡は帆の象形。帆のようにゆれ動いて、動物に刺激を与えるかぜを表す。古くはpl型の複子音をもち、ブルブルとゆれ動く意を含んでいた。とあり、以上はほぼ原文どおりですが、虫は、大蛇である竜を表すようです。
もともとは自ら動くことで風をおこすと、考えられているようです。
Posted by 西五辻芳子 at 2018年08月24日 14:18
字というのはある種の記号なのですが、その記号が風と称される実際の現象とたわむれて、空っぽになってしまった…という発想がユニーク、と思いました。風の字が風に吹かれてふくらんで、(ここから先は想像ですが)「几」の中の字(「虫」の異体字だそうです。漢和辞典には載っていますが、ネット上では表記できないようです)が吹き飛ばされて空っぽになり、「几」だけが残ってなお揺れている…という遊び心で詠まれたのだろうか、と読みました。作者の方もそうした着想で詠まれたのでしたら、「空っぽになる」と言うよりは、「几」の字になって…と、この字を出された方が、着想がわかりやすかったのではないかな? と思いましたが、どうでしょうか。
Posted by 斎藤 寛 at 2018年08月25日 16:57
風自体に意志はなく、「自ら吹かれて膨らん」だりしないし、また、形や容量のあるものでもないので、「空っぽに」なったりしない。でも、表現の上では可能になるという、その自由さに惹かれました。
言葉の面白さももちろんありました。円という字は丸くないし、犬という字は、吠えたりしない。当たり前ですが。。見たり触ったりするものと、その概念とは別の性質を持っていて、それが歌のなかで同時に現れる不思議。
皆さまの漢字の説明を読んで、なるほどと、驚き、初めてこの歌がわかった気になりました!
Posted by 千葉みずほ at 2018年09月05日 18:42
コメントと投票をいただきました笹渕さん、千葉さん、西五辻さん、コメントをいただきました斉藤さん、ありがとうございます。作者の山中です。
なんだか、とても素敵な読みかたをしていただきまして、恐縮しています。
これは「題詠風かああ、できないなあ」と「風」の字を矯めつ眇めつしておりかしたら、その字がふわふわ動き出したように見えた、ということで、字源などまるで考えておりませんから、面映いことです。

どうぞ、今後もよろしくお願いもうしあげます。
Posted by 山中 もとひ at 2018年09月12日 15:15
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