この記事へのコメント
文脈から読み取ると、落下してゆくのは「秋の日暮れ」としか読み取れないと思います。そうだとすると、日暮れが落下するとはかなり大胆な表現だと思います。
また、「落下して落下してゆく」主体が、秋の日暮れどきの作者の心象上のものだとすれば、私は、作者の思いに近づく読みがうまくできませんでした。
Posted by 肥塚しゅう at 2018年11月08日 21:08

波の音巻き込みながら落下して落下してゆく秋の日暮れは

水平線に沈む夕日を見ています。秋の日は釣瓶落とし言われています。
「落下して落下してゆく」は夕日と、それを追いかける闇と解釈しました。
釣瓶落としと言わないで、その情感を掬い取っています。
Posted by たかだ牛道 at 2018年11月12日 21:33
 夢という語がなくても夢の歌はあるように、主体が書かれてなくても主体は描けるものとおもいます。
 この一首は「落下して落下して」のリフレインが落暉の迫力を見えるものにしています。また「波の音巻き込みながら」にも、音が吸収された静けさから逆に落暉のスケールをおおいに感じさせます。
 先のコメントのような誤解を生じさせたのは、結句を「……は」と結んだことです。七音にこだわるならば、「秋の夕暮れ」と結べばいいのでは簡単に。ナゼそうしなかったか。三夕の歌を思いだすので、作者はその安易を嫌ったのかな。
Posted by かわすみ さとる at 2018年11月21日 17:30
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