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2018年11月01日
第37回ネット歌会詠草/17
蜘蛛がゐなくなる日が近い蜘蛛の巣の下を体をかがめて通る
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posted by 短歌人会 at 00:07|
Comment(7)
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この記事へのコメント
面白い歌。
冬になると、蜘蛛はいなくなるということでしょうか。あれは、冬眠するのかな。「蜘蛛がゐなくなる日が近い」と詠われると、ちょっと不可思議な感じですね。
「が」が続くのや、「を」を並ばせたのは、多分作為的でしょう。「蜘蛛」が二度でるのもいいと思います。
Posted by
桑原憂太郎
at 2018年11月09日 21:24
二句までの「蜘蛛がゐなくなる日が近い」で、読みが止まっていましました。
冬越しのために蜘蛛を一時的に見かけなくなるということか、或いは、絶滅危惧種に指定されている種類もあるようなので、そうだとすると人間の自然破壊に警鐘を鳴らしているのか、・・・
下句にリアリティがもてるかどうかは、二句までの読み方に左右される歌だと思いました。
作者の歌意をうかがえば納得するかも知れませんが、二箇所の句またがりもあり全体として読み手を不安な気持にさせる不思議な歌です。
Posted by 肥塚しゅう at 2018年11月11日 08:44
「蜘蛛がゐなくなる」ことが、季節の移り変わりなのか、種として絶滅してしまうということなのか、まず考えてしまいます。
蜘蛛は大嫌いですが、絶滅してもらうと困ります。それがありうる世界という怖さ。
さらに蜘蛛の巣の下を通ること自体考えただけで怖いので、不安、恐ろしさ、満載の作品でした。
Posted by 山中 もとひ at 2018年11月18日 15:27
季節の変わり目として蜘蛛がいなくなって蜘蛛の巣だけが残る、もう冬はそこまでと詠みましたが、解釈は多様ですね。
個人的には作品に不思議なリズムがあり、さらりと詠めましたが、韻律はこれで良かったのかという疑問も残りました
Posted by 竹田正史 at 2018年11月24日 19:40
蜘蛛の生態についてはよく知らないのですが、寒くなってくると確かにあまり蜘蛛の巣を見かけることもないような気がしました。だから二句目までは、何となく自然に季節の移り変わりと読んでいました。
自分の行く手にかかった蜘蛛の巣を、生命力の旺盛な夏であれば払ってでも進んだかも知れませんが(払っても払ってもまたすぐに巣をかける元気な蜘蛛がイメージされるので)、何もしなくてもいなくなる日の近い今は、蜘蛛の巣を壊さないようにそっと体をかがめてその下を通る。そんな作者の、自然界における小さな生命への慈愛の感じられる一首だと思いました。
Posted by 加藤隆枝 at 2018年11月24日 19:57
何か前触れを感じ不安が喚起されつつも、それを受け入れてやり過ごしていくという“日常”を、蜘蛛もしくは蜘蛛の巣というモチーフを通して詠んでいる作品かなと思いました。蜘蛛は、生活空間を共にし、忌み嫌われる事もある虫という点で、日常の葛藤や様々な思いを上手く表してくれるものなのだなぁと思いました。
また、上の句では「が」の連続によって蜘蛛の主導性を強くうちだし、下の句では「を」の連続によって己の多動性を対比的に置くことで、多重な世界感を一首の中で構築している様に思いました。
作中主体がとった行動の様に、「不吉な未来を予想しつつも、それを制御はできない事であるから、それを制御しようとするのではなく、触れずにそっとしておくようにする」というスタンスは、生きていく中ではよく取られるスタンスでもあると思います。不穏さもあり、共感もあり、そして慈悲心といった優しさも感じられる、とても複雑な味わいのある一首の様に感じました。
Posted by 空山徹平 at 2018年11月25日 17:40
たくさんの方からコメントをいただきありがとうございました。
歌意は加藤さんの読みの通りです。
秋のはじめなら邪魔だから蜘蛛の巣を壊して進むのに、もうすぐいなくなると思うと巣を壊すのが忍びなくてという気持ちでした。
「ゐなくなる」というと種がなくなってしまうという意味にも取れるのですね、勉強になりました。
字余りですが「蜘蛛を見かけなくなる」とすれば秋の終わりに死んでしまうという毎年の出来事と伝わりやすかったでしょうか?
今では種がなくなるという意味も含む「ゐなくなる」が気に入っています。
「が」と「を」が連続したのは偶然でした。
ついでに「の」も連続していましたね。
Posted by 海野 雪 at 2018年11月27日 19:00
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冬越しのために蜘蛛を一時的に見かけなくなるということか、或いは、絶滅危惧種に指定されている種類もあるようなので、そうだとすると人間の自然破壊に警鐘を鳴らしているのか、・・・
下句にリアリティがもてるかどうかは、二句までの読み方に左右される歌だと思いました。
作者の歌意をうかがえば納得するかも知れませんが、二箇所の句またがりもあり全体として読み手を不安な気持にさせる不思議な歌です。
蜘蛛は大嫌いですが、絶滅してもらうと困ります。それがありうる世界という怖さ。
さらに蜘蛛の巣の下を通ること自体考えただけで怖いので、不安、恐ろしさ、満載の作品でした。
個人的には作品に不思議なリズムがあり、さらりと詠めましたが、韻律はこれで良かったのかという疑問も残りました
自分の行く手にかかった蜘蛛の巣を、生命力の旺盛な夏であれば払ってでも進んだかも知れませんが(払っても払ってもまたすぐに巣をかける元気な蜘蛛がイメージされるので)、何もしなくてもいなくなる日の近い今は、蜘蛛の巣を壊さないようにそっと体をかがめてその下を通る。そんな作者の、自然界における小さな生命への慈愛の感じられる一首だと思いました。
また、上の句では「が」の連続によって蜘蛛の主導性を強くうちだし、下の句では「を」の連続によって己の多動性を対比的に置くことで、多重な世界感を一首の中で構築している様に思いました。
作中主体がとった行動の様に、「不吉な未来を予想しつつも、それを制御はできない事であるから、それを制御しようとするのではなく、触れずにそっとしておくようにする」というスタンスは、生きていく中ではよく取られるスタンスでもあると思います。不穏さもあり、共感もあり、そして慈悲心といった優しさも感じられる、とても複雑な味わいのある一首の様に感じました。
歌意は加藤さんの読みの通りです。
秋のはじめなら邪魔だから蜘蛛の巣を壊して進むのに、もうすぐいなくなると思うと巣を壊すのが忍びなくてという気持ちでした。
「ゐなくなる」というと種がなくなってしまうという意味にも取れるのですね、勉強になりました。
字余りですが「蜘蛛を見かけなくなる」とすれば秋の終わりに死んでしまうという毎年の出来事と伝わりやすかったでしょうか?
今では種がなくなるという意味も含む「ゐなくなる」が気に入っています。
「が」と「を」が連続したのは偶然でした。
ついでに「の」も連続していましたね。