スマートフォン専用ページを表示
短歌人ネット歌会場
短歌人会の公式なネット歌会会場です。
閲覧はどなたさまもできますが、出詠およびコメントは短歌人のメンバーのみに限定させて戴きます。
<<
第37回ネット歌会詠草/14
|
TOP
|
第37回ネット歌会詠草/12
>>
2018年11月01日
第37回ネット歌会詠草/13
苦しみてながらふることに意味ありやかく問ふ人の言葉聞くのみ
【関連する記事】
第37回短歌人ネット歌会作者名発表
第37回短歌人ネット歌会お知らせ欄
第37回短歌人ネット歌会詠草一覧
第37回ネット歌会参加者一覧
第37回ネット歌会詠草/1
第37回ネット歌会詠草/2
第37回ネット歌会詠草/3
第37回ネット歌会詠草/4
第37回ネット歌会詠草/5
第37回ネット歌会詠草/6
第37回ネット歌会詠草/7
第37回ネット歌会詠草/8
第37回ネット歌会詠草/9
第37回ネット歌会詠草/10
第37回ネット歌会詠草/11
第37回ネット歌会詠草/12
第37回ネット歌会詠草/14
第37回ネット歌会詠草/15
第37回ネット歌会詠草/16
第37回ネット歌会詠草/17
posted by 短歌人会 at 00:11|
Comment(5)
|
第37回歌会
|
|
この記事へのコメント
苦しんでまで生き長らえる意味があるのかと問う人の言葉を聞いている。
肯定も否定もせず自分の考えを述べるでもなくただ聞いているところに優しさを感じました。
しかし、それを問う人にもそれを聞く歌中主体にも未知のことであろうし、
その答えはその人の状況や感じ方でずいぶん違っていて正解があるわけでないので難しいですね。
もしくは「問ふ人」は苦しんでまで生き長らえるなら短命でもいい、
例えば延命措置などはお断りしたいと考えている。
それでも「聞く人」は「問ふ人」に生きていてほしいと願っている。
けれどもそれは自分の身勝手だから「聞く人」は自分の気持ちを言えないでいる、
そんな苦しい状況で生まれた歌かもしれないとも思いました。
Posted by 本間美保 at 2018年11月11日 00:52
上記、本間美保さんが丁寧に読み解かれていますが、その読みにも導かれ重い歌としてこころに響いてきました。
Posted by 永井秀幸 at 2018年11月15日 16:17
切実で深いテーマを詠われています。
歌意は伝わるのですが、「問ふ人の言葉聞く」のところが、日本語としてかなり苦しい。「その人の言葉を聞く」あるいは「問いを聞く」あたりでしょうか。
そう考えると、あえて結句に主体をださずに「問ふ人のをり」とか「〜が問ひぬ」あたりで流してもよかったかな、とも思えてきます。
Posted by
桑原憂太郎
at 2018年11月17日 08:34
問う人の苦しみとは何でしょうか。
病気。金銭。家族。恋愛。災害。
それはわからないのですが、どちらにしても答えようのない問いをこの人は投げかけています。
それを聞いているだけしかできない人。
むしろ、この問いをぶつける人と、それを受容しているのか聞き続けている人との関係性の方に私は関心を持ってしまいます。
前評者のおっしゃるように、問う人の姿をこそ詠みたいのなら、主体はださない方がよいかと思います。
逆にあえて主体を描写する意図で、詰まり気味であってもあえて「聞く」という言葉で終えたのかもしれないとも感じました。
Posted by 山中 もとひ at 2018年11月17日 11:31
本間様、永井様、桑原様、山中様
票をいただきありがとうございました。
友人の気持ちを聞くだけしかできなかった時の歌でした。
皆様の評を伺って、聞くしかできない未熟さを痛感したところです。
Posted by 鎌田章子 at 2018年12月01日 22:43
コメントを書く
お名前: [必須入力]
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント: [必須入力]
検索
<<
2019年12月
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近のコメント
第40回ネット歌会詠草/17
⇒ 馬淵のり子 (12/09)
⇒ 鎌田章子 (12/09)
⇒ 加藤隆枝 (12/08)
⇒ 馬淵のり子 (12/07)
⇒ 津和 歌子 (11/23)
⇒ 鎌田章子 (11/21)
⇒ 瑞坂菜 (11/16)
第40回ネット歌会詠草/16
⇒ 肥塚しゅう (12/09)
⇒ 庭鳥 (11/20)
第40回ネット歌会詠草/9
⇒ 山中 もとひ (12/09)
⇒ 笹渕静香 (12/01)
⇒ 津和 歌子 (11/23)
⇒ 海野 雪 (11/16)
⇒ 庭鳥 (11/16)
⇒ 瑞坂菜 (11/16)
第40回ネット歌会詠草/22
⇒ 加藤隆枝 (12/08)
⇒ 木村昌資 (11/27)
⇒ たかだ牛道 (11/18)
第40回ネット歌会詠草/25
⇒ 加藤隆枝 (12/08)
⇒ 鎌田章子 (11/21)
⇒ 斎藤 寛 (11/19)
⇒ たかだ牛道 (11/17)
⇒ たかだ牛道 (11/17)
第40回ネット歌会詠草/21
⇒ 津和 歌子 (12/08)
⇒ 馬淵のり子 (11/16)
第40回ネット歌会詠草/19
⇒ 鎌田章子 (12/07)
⇒ 斎藤 寛 (11/20)
⇒ たかだ牛道 (11/19)
⇒ 肥塚しゅう (11/17)
⇒ 斎藤 寛 (11/17)
⇒ 斎藤 寛 (11/17)
第40回ネット歌会詠草/7
⇒ 庭鳥 (12/07)
⇒ 加藤隆枝 (11/30)
⇒ 弘井文子 (11/16)
第40回ネット歌会詠草/14
⇒ 川上幸子 (12/07)
⇒ snowdrop (12/07)
⇒ 鎌田章子 (11/21)
⇒ 瑞坂菜 (11/16)
第40回ネット歌会詠草/6
⇒ かわすみ さとる (12/06)
⇒ 永井秀幸 (11/22)
⇒ 瑞坂菜 (11/16)
最近の記事
(01/01)
短歌人ネット歌会のお知らせ
(12/01)
第40回短歌人ネット歌会作者名発表
(11/02)
第40回ネット歌会参加者一覧
(11/02)
第40回短歌人ネット歌会詠草一覧
カテゴリ
日記
(0)
歌会告知
(5)
第1回歌会
(40)
お知らせ
(4)
第2回歌会
(32)
第3回歌会
(40)
第4回歌会
(48)
第5回歌会
(32)
第6回歌会
(33)
第7回歌会
(38)
第8回歌会
(35)
第9回歌会
(43)
第10回歌会
(36)
第11回歌会
(31)
第12回歌会
(31)
第13回歌会
(34)
第14回歌会
(32)
第15回歌会
(32)
第16回歌会
(30)
第17回歌会
(33)
過去ログ
2020年01月
(1)
2019年12月
(1)
2019年11月
(29)
2019年05月
(23)
2019年04月
(1)
2019年03月
(1)
2019年02月
(27)
2019年01月
(1)
2018年11月
(27)
2018年10月
(1)
2018年09月
(1)
2018年08月
(35)
2018年07月
(1)
2018年05月
(34)
2018年04月
(1)
2018年02月
(40)
2018年01月
(1)
2017年11月
(34)
2017年10月
(1)
2017年08月
(32)
肯定も否定もせず自分の考えを述べるでもなくただ聞いているところに優しさを感じました。
しかし、それを問う人にもそれを聞く歌中主体にも未知のことであろうし、
その答えはその人の状況や感じ方でずいぶん違っていて正解があるわけでないので難しいですね。
もしくは「問ふ人」は苦しんでまで生き長らえるなら短命でもいい、
例えば延命措置などはお断りしたいと考えている。
それでも「聞く人」は「問ふ人」に生きていてほしいと願っている。
けれどもそれは自分の身勝手だから「聞く人」は自分の気持ちを言えないでいる、
そんな苦しい状況で生まれた歌かもしれないとも思いました。
歌意は伝わるのですが、「問ふ人の言葉聞く」のところが、日本語としてかなり苦しい。「その人の言葉を聞く」あるいは「問いを聞く」あたりでしょうか。
そう考えると、あえて結句に主体をださずに「問ふ人のをり」とか「〜が問ひぬ」あたりで流してもよかったかな、とも思えてきます。
病気。金銭。家族。恋愛。災害。
それはわからないのですが、どちらにしても答えようのない問いをこの人は投げかけています。
それを聞いているだけしかできない人。
むしろ、この問いをぶつける人と、それを受容しているのか聞き続けている人との関係性の方に私は関心を持ってしまいます。
前評者のおっしゃるように、問う人の姿をこそ詠みたいのなら、主体はださない方がよいかと思います。
逆にあえて主体を描写する意図で、詰まり気味であってもあえて「聞く」という言葉で終えたのかもしれないとも感じました。
票をいただきありがとうございました。
友人の気持ちを聞くだけしかできなかった時の歌でした。
皆様の評を伺って、聞くしかできない未熟さを痛感したところです。