この記事へのコメント
苦しんでまで生き長らえる意味があるのかと問う人の言葉を聞いている。
肯定も否定もせず自分の考えを述べるでもなくただ聞いているところに優しさを感じました。

しかし、それを問う人にもそれを聞く歌中主体にも未知のことであろうし、
その答えはその人の状況や感じ方でずいぶん違っていて正解があるわけでないので難しいですね。

もしくは「問ふ人」は苦しんでまで生き長らえるなら短命でもいい、
例えば延命措置などはお断りしたいと考えている。
それでも「聞く人」は「問ふ人」に生きていてほしいと願っている。
けれどもそれは自分の身勝手だから「聞く人」は自分の気持ちを言えないでいる、
そんな苦しい状況で生まれた歌かもしれないとも思いました。



Posted by 本間美保 at 2018年11月11日 00:52
上記、本間美保さんが丁寧に読み解かれていますが、その読みにも導かれ重い歌としてこころに響いてきました。
Posted by 永井秀幸 at 2018年11月15日 16:17
切実で深いテーマを詠われています。
歌意は伝わるのですが、「問ふ人の言葉聞く」のところが、日本語としてかなり苦しい。「その人の言葉を聞く」あるいは「問いを聞く」あたりでしょうか。
そう考えると、あえて結句に主体をださずに「問ふ人のをり」とか「〜が問ひぬ」あたりで流してもよかったかな、とも思えてきます。
Posted by 桑原憂太郎 at 2018年11月17日 08:34
問う人の苦しみとは何でしょうか。
病気。金銭。家族。恋愛。災害。
それはわからないのですが、どちらにしても答えようのない問いをこの人は投げかけています。
それを聞いているだけしかできない人。
むしろ、この問いをぶつける人と、それを受容しているのか聞き続けている人との関係性の方に私は関心を持ってしまいます。
前評者のおっしゃるように、問う人の姿をこそ詠みたいのなら、主体はださない方がよいかと思います。
逆にあえて主体を描写する意図で、詰まり気味であってもあえて「聞く」という言葉で終えたのかもしれないとも感じました。
Posted by 山中 もとひ at 2018年11月17日 11:31
本間様、永井様、桑原様、山中様

票をいただきありがとうございました。

友人の気持ちを聞くだけしかできなかった時の歌でした。

皆様の評を伺って、聞くしかできない未熟さを痛感したところです。
Posted by 鎌田章子 at 2018年12月01日 22:43
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