この記事へのコメント
「ボクサーの面影のこすくちびるに」とは、ボクシングの試合の時の傷が残っているということでしょう。
「きみ」はもう青春時代を過ぎた年頃で、若きときの忘れられない恋のことを作者に語ったのでしょう。
そのことさえ思い出になってしまった過去の出来事。
全体にひたむきな青春時代への情感と哀惜があり、惹かれました。
Posted by 海野 雪 at 2019年05月15日 12:04
少し長くなりますが、実はこの作品を目にしたときに偶然にも小生、角川文庫「寺山修司青春歌集」をパラパラ捲っていました。
さらに、寺山修司の「ボクサー」という東映映画もなんとなく知っていて、寺山自身もボクシングジム通いをしていたこともあり、また「あしたのジョー」の作詞者でもあります。
何が言いたいのかというと、歌中の「青年」が小生のなかで、まさに寺山修司の面立ちとして立ち上がり、この青年が語ったという「恋(悲恋だと思う)」が、寺山ワールドの青春イメージ(傷だらけ、孤独感)とぴったり符合したわけです。
ということで、小生のなかでこの歌は、(こんな青春自分にはなかったなぁと思いつつ)歌中の「青年」は寺山修司のことを頭に描きつつ読むことができ、大変うれしくまた一人でしばし感激していました。
歌評としては、上句「ボクサーの面影のこすくちびるに」が的を得ている表現で素晴らしいと思いました。
Posted by 肥塚しゅう at 2019年05月15日 14:20
ボクサーの面影のこすくちびるに青年の恋きみは語りき

上の句からボクサーだった者に残る面影(多分、闘いを繰り返した末に重ねられた傷)はある種勲章だと思いました。青年の恋と言っても、彼はボクサーだったから勝った姿だけでなく、敗れた姿、傷だらけの姿を恋の相手にも見せていたのだろうと想像しました。青春ではありますが、苦さもちゃんと含んでいる恋。それを語る姿は少しさびしさを帯びているかもしれませんが、かっこよさも兼ね備えていると感じました。
Posted by 笹渕静香 at 2019年05月15日 19:48
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