この記事へのコメント
慶応四年は、明治元年。2018年に明治150年(地方によっては、戊辰戦争150年)を記念する行事があったことを思い出します。
日記を書いた武士は、戊辰戦争に官軍側として従軍した人物と推測できます。
どちらの軍にいたとしても、当時の男性ならば月代を剃り髷を結うのは日常の身だしなみ。
もともと、武士が戦場で兜をかぶる際の蒸れ対策として月代をつくるようになったと聞いたことがあります。
戦場にあって日常の行為をする武士の心境に思いを馳せ、それがたった150年程前なのに今とあまりの隔たりを思わされます。
Posted by 庭鳥 at 2020年02月17日 19:10
庭鳥さんが仰るように、慶応4年は明治元年。文明開化直前の、最後の月代の記録かも知れません。この頃は外国との関係で、月代を剃らない総髪の侍もぼちぼちいたそうですが、そういった侍は外国人と直接接触する可能性のある役職に就いていたいわばエリート。この日記の武士は当たり前に月代があることに何の疑問も持たず身だしなみとしてやっていた古風な武士かも知れません。色々と想像が膨らむ1首です。
Posted by 高良俊礼 at 2020年02月27日 22:40
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