この記事へのコメント
読書というのは、きわめて個人的な活動だと思うのですが、以前の所有者の跡の残る古本をあえて購入しているのは、本を介して人とつながることを望んでいるのではないでしょうか。見ず知らずの人ではあるが、赤線を辿りながらその人の気配を感じ取ろうとしているような、人恋しさの感じられる1首のような気がして、心惹かれました。
Posted by 加藤隆枝 at 2020年05月13日 19:22
三首選で採りました。
歌全体に強いちからが感じられる一首だからです。
中古書店で「斜陽」を手に取ってみたところ、赤線が何本も引かれていた(書き込みもあったかもしれない)。作者(作中主体)がその赤線に「だからこそ…買った」という強い意志を感じた理由は何だったのか? 「人間失格」ではなく何故「斜陽」だったのか? 
我々鑑賞者は想像することしかできませんが、この一首は、「何本もの赤えんぴつの線」「だからこそ買った」との強い意志と、太宰の「斜陽」との取り合わせが、絶妙にフィットしていると私には感じられました。
Posted by 肥塚しゅう at 2020年05月14日 14:35
マーカーでもボールペンでもない赤えんぴつ、しかもひらがな、ということでやわらかい線を想像しました。そして何カ所ではなく、何本ですので、語よりももっと長い文について、何か思うことがあって引いたのだろうと思います。そう考えると、小説のどこに線を引いたか知られる、ということは(しかも複数)かなり内面を知られてしまうことになりそうです。
「だからこそ買った」ということは前の持ち主のその読みごと、読書体験ごと買う、というような意味だなと思い、いいと思いました。
Posted by 国東杏蜜 at 2020年05月20日 18:45
古書を愛する人が深く共感できる歌だと思います。
本の著者とだけでなく、
自分より前の読者とも語り合う、濃密な時間を買ったのですね。
「だからこそ」から強い意志と意欲が伝わってきます。

ここからは恣意的な読みかもしれませんが…
一読して、イメージがくっきり浮かびました。
やわらかな赤えんぴつの線は
夕刻差し込む光線のようであったかもしれません。
波線ではなく直線、それも、定規を当てず手で引いた、
やや斜めに傾いだ線であったかもしれません。

『斜陽』という書名が(意図的か偶然かは分かりませんが)
実によく効いていると思います。

Posted by 川上幸子 at 2020年05月26日 07:58
「だからこそ」は単なる逆説ではなく、本当に作者の心が動いた手応えが感じられました。前の持ち主の気配や思考の痕跡を含めて古書を買ったことが「だからこそ」に籠もっています。

国東さんもおっしゃっておられる通り、マーカーでもボールペンでもない「赤えんぴつ」という道具立ても効いています。

細かいことのようですが、表記の約束事として、単行本の書籍を表す場合は『』(二重鉤括弧)になります。「」(鉤括弧)は雑誌や単行本に掲載された作品を表します。この歌は書籍を意味していますから、二重鉤括弧の方が誤解を招かないでしょう。
Posted by 生沼義朗 at 2020年05月26日 15:45
加藤隆枝さん、肥塚しゅうさん、国東杏蜜さん、 川上幸子さん、 生沼義朗さん、素敵なコメントありがとうございました!作者の木嶋章夫です。
ブックオフなどで、たまにラインを引いた本や書き込みがある本を見つけると、思わず買ってしまいます。自分では絶対にラインを引かないようなところにラインが引かれているので興味深いです。
蔵書印が押してある本も好きです。たまにプリクラや写真が栞がわりに挟んであることもあって、そういうのも好きです。
ありがとうございました。
Posted by 木嶋章夫 at 2020年05月27日 16:56
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