その川の橋の名を言ふ 人生で出会つたひとの名を呼ぶやうに
【選歌集計結果=6票】
【投票者=笹川諒/冨樫由美子/佐藤ゆうこ/間ルリ/川上幸子/瑞坂菜】
【投票者=笹川諒/冨樫由美子/佐藤ゆうこ/間ルリ/川上幸子/瑞坂菜】
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票を入れた方のご意見を伺いたく思います。
(もちろん、入れていらっしゃらない方のご意見も、笑)
「その川」は、作者には愛着のある川と思いますが、より具体的にすることと、出会った橋(人)は複数あり、名を呼ぶなら上流(若い頃)から順に指を折って、ということになろうと思うので、そうした要素も盛り込んでみてはと思います。
ずっと考えを巡らせてきました。
たとえば「鴨川の荒神橋」などと
口では何気なく言っていた気がします。
厳密には「に架かった」なのですね。
気づきませんでした。
初めは一つの橋の名を、一人の人の名を呼ぶような親しみをこめて発音しているのだと思っていました。
複数の橋だとすれば、なるほど、川が人生に見立てられるのですね!一気に広がりが生まれて目の覚める思いです。
その一方で、かけがえのない一つの橋の名を口に上せている、と見るのも深い味わいがあります。
川の名も、橋の名も、あえて特定されていないのは、読者に自由な読解の余地を残すためなのかもしれない、と思えてきました。
あるいは、それぞれの読み手がそれぞれの橋を思い出し、共感することで、この歌は完結するのかもしれません。
かさねて、冨樫さん、桑原さん、亀尾さん、岩下さん、川上さん。本来ならそれぞれ個別にお礼を申し上げるべきですが、すばらしい評をいただきありがとうございました。
この一首は数年前の旅の体験を詠んだものです。
みなさまに丁寧に読んでいただき感激しております。
本当にありがとうございました。