この記事へのコメント
「橿原の杜」は、橿原神宮あるいは大和三山のひとつ畝傍山の事ととりました。
「国中の人」が集まったのはどんな事情なのでしょう、行事か事件か。日本全国かそれとも大和国中の人なのか、時代は現代かどうかよく分かりませんでした。
橿原の杜に縁のある主体(神宮の関係者か地元住民か、杜に住む野生動物か?)が、若い世代に向けてする昔話の雰囲気ある導入部分と感じました。
Posted by 庭鳥 at 2020年08月11日 07:38
橿原の杜はやはり橿原神宮の杜を思います。
神武天皇をお祀りしてあり建国に関わる神社なので思想的に国粋主義を想像してしまいました。建国記念日には右翼の街宣車などがやってくることで有名です。「わが誕のわづか九年前」というので作者の年齢が不明なわけですが、そんなに昔のこととは思えません。歌の中ではどういうあつまりか分かりませんが「国中の人あつまりけり」とあるので、相当大きな行事があったのでしょう。これが分からないので、読者としてはもどかしい感があります。検索して調べてみたのですが昭和18年農学校の選抜された学生たち300名ほどが橿原神宮に集まり満州建設勤労奉仕隊の出陣式を行った記録がありました。この奉仕隊は100日余、満蒙の地で奉仕をして帰国したとあります。作中のあつまりがこの出陣式なら作者は昭和27年前後の生まれということになります。あるいは終戦の勅語を聞いて、多くの国民が神前に集ったというようなことがあったとすれば作者は昭和29年頃の生まれになります。歴史の大きな転換点なのでむしろこちらの方が歌材としてはふさわしいかも。まったくの推測ですが。いろいろ推理の愉しみのある歌ですが、作者発表後ぜひ作歌意図を教えて下さい。愉しみに待っています。
Posted by 井忠明 at 2020年08月14日 16:31
 作者のかわすみさとるです。
 票を入れてくださった津和歌子さん、有難うございました。重い一票と受け止めました。コメントしてくださった庭鳥さん、井忠明さん、お礼申し上げます。拙い歌ですが真剣に読んでくださり有難うございました。
 井忠明さんのコメントに、この歌の作歌意図についてのお尋ねがありましたので、少し長くなりますが説明させていただきます。

 私の、生年は昭和二十四年(一九四九),月日まで言うと、中国の毛沢東が北京天安門で建国宣言をした十月一日です。
 九年前の昭和十五年は紀元二千六百年で、この年の橿原の宮には天皇をはじめ一千万人が詣でたといいます。数字には誇張があるかも知れませんが、数多くの人が詣でたに違いありません。秋十一月には宮城外苑で紀元二千六百年記念式典が五年ほどの準備期間をへて執り行われました。
 翌年十二月に太平洋戦争へ突入ですから、この紀元二千六百年建国記念事業は、戦争への国家意思の総仕上げの目的をもつものだったのでしょう。
 私ら戦後団塊世代は、反戦、平和、平等の民主教育をうけ、戦前は良悪で言えば悪、つまり負の歴史として否定されて、これからの社会は自由平等博愛の精神のもと平和でなければならないという環境下に育ちました。
 この環境(教育)によって、戦後四半世紀を経った昭和四十五年(一九七〇)の世相を見ればわかりますが、すでに戦争は遠い過去のこととして捉えられました。さらに高度経済成長の恩恵に浴して、とくに戦後生まれの私らにとって戦前は遠い過去の出来事でした。
 これは、戦前と戦後の間に思いのほか深い断絶があることを意味します。しかし、老いて今となって、ふり返ると、二・二六事件はわが誕の十三年前であり、わが郷土の詩人、萩原朔太郎の死はわが誕のわづか七年前のことでした。そう考えると、戦前が急に身近に感じられました。私ら戦後直近世代にとって、どうして戦前が遠い昔のことと言えるでしょうか。この断絶は何によって生まれたのでしょうか、
 私は国粋主義者ではありませんが、それでも思い出したように、靖国神社のお参りと遊就館の見学に行きます。千鳥ヶ淵の霊園にもまいります。
 昭和十一年の二・二六事件、昭和十二年七月七日の盧溝橋事件、昭和十五年の紀元二千六百年、昭和十六年十二月八日の太平洋戦争突入、昭和二十年八月十五日の敗戦と、わが誕より十三年から四年前の出来事です。国が戦いに敗れたという深刻な事情はあっても、時の流れ、親しく緊密な時の流れに断絶がある訳はありません。進駐軍の占領後、制度の解体新設等、財閥解体や農地解放や教育のほかにも根本的な種々の変革があっても、人の生活や意識に断絶がある訳はありません。古稀をむかえて遅ればせながらこの自明のことに気が付いたのです。
 伝説を国の歴史とすることも、過度に自由平等博愛を信仰することも反戦平和主義を信奉することも、虚構であり幻想であることは同じでしょう。
 戦前と戦後の間に断絶があるように思わされてきた、惑わされてきたが、実際は身近に親密な時の流れがあるだけで、断絶などなく遠い過去とおもわせる戦後のある邪悪な力学が戦前と同じように、ふたたび幻想を生みだすために実によく働いていたとおもうのです。したがって戦後直近生まれの私らは、以後の若い世代より、むしろ多く毒されているとおもいます。自明のことわりを正直に受け止めるため、戦前の時の流れ、親密な空気のようなものを十分取り入れて、我が心の内にわだかまる断絶を吹き払いたいとおもいます。言葉足らず意を尽くせず、申し訳ございませんが、以上が、お尋ねのこの歌の作歌意図です。ご了承ください。
Posted by かわすみさとる at 2020年08月26日 18:44
かわすみ様、井忠明です。
作歌意図、詳しく教えていただき有難うございます。紀元2600年祭のことだったのですね。小生は昭和13年生1月まれで敗戦時は国民学校2年生でした。僅かな期間でしたが国定教科書で軍国の少国民教育を詰め込まれました。「鬼畜米兵」「欲しがりません、勝つまでは」が当然の戦時下でした。終戦と同時に一転世の中の激変を体験し、教科書に墨を塗って、これまで教わってきたことを全部帳消しにされ、子供心にとまどいをおぼえた世代です。
かわすみ様は戦後間もないお生まれですが、このコメントを読ませていただいて、実に立派な見識をお持ちなのに感心させていただきました。
紀元2600年祭は知っていましたが、そこまで考えが及ばず申し訳ありません。そのことが分かって改めてお歌を読ませていただくと、その深みが理解できてまた違った感慨をおぼえました。丁寧な解説有難うございました。
Posted by 井忠明 at 2020年08月27日 11:06
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