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一本に百柱眠る桜木の殖えていつしか森となるまで

 「柱」を人の霊として慰霊の歌とかんがえれば。一本に百名を祀り、桜の森の木の数を仮に一万本とみれば、百万人の慰霊となります。千本とみれば十万人の慰霊となります。また桜を「うえる」の漢字を、植栽の植でなく殖産の殖をあてたのは、一人の小父さんの慰霊行為でなく一つ慰霊の団体行為とかんがえさせられます。眠られている柱の方々は戦没者なのか大災害で亡くなられた方々なのか、よくわかりません…。と、このように私はこの歌から受けるムードから解しましたが、いかんせん、それ以上の理解にすすめませんでした。状況を判断させる作者の立ち位置や気持ちが、…わからないのです。歌は、作者の実際などいっさい拒否してかまわない、という覚悟の立場から仮に詠まれているにしても、多少とも作者の姿を読者にみせる、あるいは状況のわかる言葉(親切)もあっていいのではないかとおもいます。
Posted by かわすみさとる at 2020年08月16日 06:54
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