この記事へのコメント
「森」が持っているミステリアスな部分を巧妙に表現していると思います。小学生のころ、国民学校の裏手は広大なグライダー演習場になっていて(戦時下のことですが)その向こうに鎮守の森があり、参詣する人も少ないせいで鬱蒼としていて教室の窓から一種の恐怖心をもって日々眺めていたあの森を想起しました。不穏が騒ぎ出す午後4時というのも、意味なく納得さされて面白く採らせていただきました。
Posted by 井忠明 at 2020年08月16日 08:19
高井さんと同じく「鎮守の森」を連想しました。「午後四時」という設定が絶妙で、「逢魔が時」とされる黄昏時よりやや早い時間、ちょうど人通りが絶える頃の静かになる一瞬が、「逢魔」の始まる合図ということが腑に落ちました。森というのは、大人になっても何だか気味の悪い場所で、昼間でも無人で静かだと一層そう感じます。そうした気味悪さを「午後四時を過ぎて不穏が騒ぎ出す」としたのが面白いと思いました。
Posted by 亀尾美香 at 2020年08月18日 12:21
亀尾さんのおかげで
「逢魔が時」の入口に当たる時間なのだと
より厳密に限定することができました。
「不穏」という抽象名詞が「騒ぎ出す」という擬人的表現も面白いです。
森は元来、人間の生存を脅かす畏怖すべきものでした。
子供のころ森が身近にあることの大切さを思います。
Posted by 川上幸子 at 2020年08月22日 13:15
作者の高良です。コメントを下さいました高井さん、亀尾さん、川上さん、ありがとうございます。山の中の鬱蒼とした森を歩いていると、季節によりますが午後3時から4時を境に辺りの雰囲気が変わり出す、その"境界"のようなものを感じることがよくあります。これはもしかしたら日頃森や山に馴染みがなければ難しいかなと思っておりましたが、皆さん的確に歌意を汲み取って下さって嬉しく思います。「不穏」の擬人化の表現については、まだまだ別のより良い表現があったかも知れないと思って悩んでおります。
Posted by 高良俊礼 at 2020年08月28日 00:42
静けさは逢魔の合図午後四時を過ぎて不穏が騒ぎ出す森

「嵐の前の静けさ」という情景がまず最初に浮かびました。また〈逢魔の合図〉で得体の知れない何かがある、あるいは起きるというようにも思いました。でも、そんな状況でも森に近付いてみたいという気持ちにさせられるそんな一首だと思いました。恐いもの見たさとでも言うのでしょうか・・・。
Posted by 笹渕静香 at 2020年08月29日 16:34
笹渕さん、コメントありがとうございます。丁寧に読んで下さいまして嬉しく思います。

仰るように、「怖いけど覗いてみたい独特の雰囲気」が、森にはありますね。涼しさや清々しさの中にも何か人を圧倒するような大自然の神秘のようなものは、実際に歩いてみて切実に感じることがあります。
Posted by 高良俊礼 at 2020年08月31日 15:03
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