この記事へのコメント
今年は、梅雨が長く8月にようやく開けた感じです。
気温は高かったので、鎮守の杜では、蝉の羽化が始まったのでしょう。
「しびれを切らした」の擬人化は、自然であると感じました。
Posted by 高田 圭 at 2020年08月09日 20:59
四句の「しびれを切らした」が蝉時雨のエネルギーを内側から、ないし本源的に捉えているように思いました。「鎮守の杜」だから「響きゆく」も凄い迫力なのでしょう。
Posted by 吉岡生夫 at 2020年08月15日 09:34
曇天の鎮守の杜に響きゆくしびれを切らした蝉のなきごえ

長梅雨にしびれを切らした蝉が、梅雨明けを待たず羽化し、鎮守の杜に初蝉のこえが響き
ゆくということを、上手く一首に詠われていて採らせていただきました。
初句は、梅雨の鬱屈とした「曇天の」から始まり二句で産土神がまつられた静かな社の杜をイメージさせ、三句では「響きゆく」と複合動詞を斡旋し、下の句では転じて率直な言葉で「しびれを切らした」と修飾し、さて何がと読者に思わせ、結句「蝉のなきごえ」にズームし大音量の初蝉の杜を読者に手渡している。
羽化した蝉の命のよろこびの声が響きゆく、生命の神秘と躍動感と鎮守の杜という産土への畏敬、題詠「杜」が調和し、何といっても口語ならではの「しびれを切らした」がみごとにおさまっている。
Posted by 西五辻芳子 at 2020年08月16日 03:38
「しびれを切らした」がとてもいいポイントのようにおもいました。

「曇天」が最初にあることで、イメージもそうですが音も、重苦しく天が下がってきている感じがあります。そのため「鎮守」は小さく、「響きゆく」が縦ではなく横に蝉の声が伸びていくようにおもえて、音で景色は見せられるのだなあと感じました。
Posted by 国東杏蜜 at 2020年08月20日 15:37
「しびれを切らした」は何人かの前評者が言われるように、用法的には擬人化であり、蝉を人間になぞらえて表現しているものだと思います。が、私はむしろ、直喩である「しびれを切らしたような」の「ような」が省略されている感じを強くもちました。つまり「しびれを切らしたような」とするところを掲出歌のように省略した表現としたことで、少し舌足らずな印象をもちました。常套表現の「しびれを切らした」に少し違和感はありますが、この歌の場合はまさに的を得ている(得過ぎているかも?)表現だと思いましたので、一票を入れさせていただきました。
Posted by 肥塚しゅう at 2020年08月20日 17:50
みなさま、丁寧なコメントをありがとうございました。
梅雨明け前でしたけれど、鬱蒼とした神社の境内には蝉の鳴き声が力強く響いていました。この様子を伝えられたようで、嬉しく思います。
Posted by 五十嵐真希 at 2020年09月01日 06:32
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