この記事へのコメント
東京も猛暑日の連続で、わが家では人間のみならず庭の草花も悲鳴をあげています。作者がベランダに水を撒くのは久し振りなのでしょうか? さらっと詠われていますが、あたかも神(様)が森の樹々や生き物すべてにいつくしみの気持ちを抱くように、作者もベランダの草木たちをいとおしく思う様子がこめられた一首です。
Posted by 肥塚しゅう at 2020年08月13日 17:49
地上に雨を降らす時の神様は、ベランダの植木に水をやる人間の気持ちに似ているだろうな、という楽しい想像で詠まれた歌です。着想が面白く迷いましたが、5・8・5・6・10とあまりにも破調なのが気になり、票を入れませんでした。耳慣れた言い回しも多いので、推敲に力を入れればより洗練された歌になるのでは、と思います。
Posted by 亀尾美香 at 2020年08月18日 12:40
この歌は倒置、二句切れでしょうか。
最初に読んだときは、神様が水を撒いているのかと思いましたが、水を撒くのは主体と取れば素直に読めました。
「撒いている」を「撒いてる」と軽く7音に合わせて、下句は9(3音×3)・7(3音+4音)とすれば、そこまでリズムがもたついている感じは受けませんでした。
もう一歩、具体的な何かの手ざわりが欲しいと思います。
Posted by 太田青磁 at 2020年08月23日 16:22
前評者のうち2人の方が、推敲なの余地について書かれていますが、僕は、この歌はもう推敲の余地は無いとみなします。慣用句的なところは少し気になりますが。
この歌の区切れについては、亀尾美香さんの捉え方でいいと思います。2句目は、「水を撒いてる」で7音でいいですよね。他の人の短歌の区切れをかんか
Posted by 山寺修象 at 2020年08月25日 17:30
前評者のうち2人の方が、推敲の余地について書かれていますが、僕は、この歌はもう推敲の余地は無いとみなします。慣用句的なところは少し気にはなりますが。
この歌の区切れについては、亀尾美香さんの捉え方でいいと思います。2句目は、「水を撒いてる」で7音でいいですよね。
他の人の短歌の区切れを考える時、自分の感覚で捉えた意味の切れ目だけで、無茶苦茶に区切るのは、作者に対して優しくないし、少し無理があるとおもいます。僕は、意味の区切れに多少無理があっても、小池光氏の「緩、急、緩、急、急説」(「短、長、短、長、長説」ともいう)に従って、区切って鑑賞するようにしています。という訳で、下の句を「6・10」に区切るのは、基本的には無しです。その上、下の句が長い場合でも、結句が7音なら、収まりは良く、短歌が無事に終わったなあ、という感じがします。
この歌で唯一、作者が考えなければならないことは、この歌がメルヘンチックな歌である点です。私たちは、皆、然るべき結社に入って短歌に励もうとしているので、漠然とでもいいので自分の文体について、常に考える必要があります。少なくとも自分の短歌の文体について自覚的であるべきです。題詠とはいえ、思いつきで、一首一首違う文体でばらばらな歌を作っていては、多分、上達の速度が遅いだろうし、自分の文体の確立も望めないかも知れません。という訳で、作者が、いつもメルヘンチックな歌を作っておられたら、これでいいし、もし、そうでないなら、自分の文体の確立に向けて、考える契機と捉えられれば、素敵なことだと思います。
Posted by 山寺修象 at 2020年08月25日 18:19
お詫び
何年振りかの参加参加の上、誤操作で指が触れ、2つ前のコメントは誤送になっています。本当に済みません。
Posted by 山寺修象 at 2020年08月26日 18:48
訂正
「区切れについては、太田青磁さんの意見に賛成です。」が正しいです、数年振りに参加させて貰ったのに、他の歌の含めて、一人だけ誤字、間違いの多いコメントになり、大半お騒がせしたことをお詫びします。
Posted by 山寺修象 at 2020年08月28日 01:59
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