この記事へのコメント
静寂な時間を切り取った印象のあるお歌だと思いました。己の心の中あるいは脳内に、森がすでに鎮座していてシンとしている。ふと目を覚ましたらまだ午前三時で数秒あるいは数分間、森閑を感じている様子が浮かび上がってくる一首だと思います。
Posted by 笹渕静香 at 2020年08月09日 15:37
近くには森あらざれど森閑とする時間あり午前三時に

「森」の題詠で「森」と「森閑」の二字をいれ前評のように静寂な時間を切り取った説得力のある歌で迷うことなく評を入れました。
Posted by 永井秀幸 at 2020年08月11日 16:16
山寺修象です。数年振りに生き返った(?)ので、ネット歌会にも参加させて貰います。コメントだけからですが、宜しくお願いします。いい歌があっても、余り評価されなかったら、歌も作者も残念が残るので、僕がいいと思った歌については、コメントさせて頂きます。題詠27首のうち、この歌が一番いいと思いました。と、褒めた上で批評です。歌の原形を基本的に変えないとしたら、1、2句目までの部分に1首の流れのなかで強すぎるところがあります。あらざられど、の特に、ざれど、の部分が強すぎます。「には」の「は」も少し強いように思います。1首のなかでの収まりは置いておくとして、「あらざれど」は、意味的には、「なくて」「なく」みたいな感じ、でいいのではないでしょうか。
歌をよくする為に、大幅に変えていいなら、1、2句は、ない、という理由、理屈なので、全くなしにして、作中作者がいる、場面設定を具体的に表現したら、作中作者を、より鮮明なイメージで出せるのではないでしょうか。より作中作者の実感に迫った歌になると思います。多分、作者は、かなり上手い人だとイメージしたので、細かいところまで踏み込んでしまいましたが、期待大ということでお許し下さい。今後とも宜しくお願いします。
Posted by 山寺修象 at 2020年08月12日 12:43
近くには森あらざれど森閑とする時間あり午前三時に

 この歌の面白味は、永井さんと同じで、まず森と森閑をならべたてたところにあります。それと、三句と四句の句跨ぎの部分「森閑とする」に妙味を覚えました。この動態感をもつ部分によって、森の中へ入って行くような親密な動的感覚をもちました。
Posted by かわすみさとる at 2020年08月13日 14:47
あらざれど/あり、の対比が、午前三時の見えない空間と時間をつなぎとめているような不思議な気持ちになりました。二句が強いとも感じますが、まったく違う言葉にしてしまうとこの歌の感覚が損なわれてしまうようにも思えます。四句の句切れも気持ちがよく、前評者の方々と同じく題の使い方が巧みに感じました。
Posted by 太田青磁 at 2020年08月16日 15:40
近くには森あらざれど森閑とする時間あり午前三時に

「森」一文字から豊かなイメージをふくらませる歌あり、
「森」を含んだ思いもよらぬ単語を用いた歌あり、そのなかで、
「森閑」という言葉の選択に心惹かれました。

「深閑」という漢字もありますが、「森閑」の方がより肌に迫る感じがします。
真夜の森の静謐から生まれた言葉なのでしょう。
いわゆる丑三つ時ですから、妖怪や幽霊への恐れも含まれているかもしれません。

たとえ近くに森は無くとも、体に残る昔の記憶、あるいは父祖の記憶が蘇る瞬間がある…
そんな刹那を大事にしたいと思わされます。
Posted by 川上幸子 at 2020年08月22日 13:00
最初の森は場所として空間の中の森で、二つ目は森閑という時間の中の森。一日の時間帯の中で、一番森に近いと感じさせるのは午前3時頃か、と妙に納得させられる一首でした。
Posted by 加藤隆枝 at 2020年08月22日 15:59
生沼さんの作品でしたか。先月に再会された埼玉歌会(題詠中心)でも生沼さんの歌を選びました。2首とも題詠なのに、まるで題詠ではなくで作った短歌のようにレベルが高いと思いました。自分はまだ、作歌を再会したばかりですが、生沼さんのように題詠でもレベルの高い短歌を作れるようになれるよう、短歌の勉強、作歌、一首評に真摯に取り組んでいきたいです。短歌人ネット歌会に参加の皆様、短歌人の皆様、宜しくお願いします。
Posted by 山寺修象 at 2020年08月25日 08:40
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