2020年08月01日

第43回ネット歌会詠草/3

朝霧のふかき森まで響きたるダム放水のサイレンの音

【選歌集計結果=11票】
【投票者=生沼義朗、亀尾美香、木嶋章夫、井忠明、津和歌子、戸似田一郎、永井秀幸、庭鳥、馬淵のり子、光本博、吉岡生夫】
posted by 短歌人会 at 00:27| Comment(12) | 第43回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
早朝のすがすがしい景色を思い浮かべました。霧で視界の利かないなか、ダムの放水を知らせるサイレンの音が響く描写に森の中のはりつめた冷気が感じられました。
このような森の中で不意にサイレンが鳴れば不安を覚えるところですが、ダム放水のと触れられているため作者にとってはなじみの深いものであるようです。この森によく親しんでいる様子が伺えます。
落ち着いたお歌として好感をもって捉えましたが、改めて考えるとダム放水に言及した意味が気になります。
あるいはダムに対して批判的立場からの一首なのかもしれないという気もいたします。
Posted by 光本博 at 2020年08月08日 21:07
朝霧が濃い森の中で響き渡るサイレンの音、その鮮やかさに惹かれました。
サイレンの音がして、一瞬の静寂の後鳥たちが飛び立つ音まで聞こえるような気がします。
サイレンの音を聞く主体は、森とダムの近所に住む住人なのか、それともキャンプなどでたまたま森を訪れたのかは分かりませんが主体の姿も森と一体になっているように感じました。
Posted by 庭鳥 at 2020年08月09日 18:05
兼題「森」を正面から詠んでいて、よくできた一首と思います。早朝の森の雰囲気が遠くから響いてくるサイレンの音と相俟って一段と立ち上がってくるように感じられ惹かれました。「響きたる」が「響きくる」ではどうでしょうか。音に動きがでて、ダムとの距離感が感じられるとおもうのですが。
Posted by 井忠明 at 2020年08月11日 14:54
「ダム放水」は、ダムの水量調節のために管理者により日常的におこなわれる行為だとすれば、皆さんのコメントのように「朝霧のふかき」や遠くの「サイレンの音」といった静かな風景が浮かんできて美しい一首だと思います。
しかし残念ながら私は、過日の河川洪水時に物議をかもした「夜間のダムの緊急放流」、すなわち猛烈な豪雨のなかでサイレンの音も聞こえないような恐怖でしかないイメージが頭に浮かび、いささか違和感を感じたため、今回は一票に入れませんでした。
Posted by 肥塚しゅう at 2020年08月11日 17:29
上記の皆さんと同じ理由で取らせていただきました。その上で上記井忠明さんの「響きたる」を「響きくる」にしたらという意見に賛同します。
Posted by 永井秀幸 at 2020年08月12日 16:33
視覚と聴覚どちらにも訴えかけてくることで、森の中であることがリアルな景として立ち上がってくるのがよかったです。森閑とした自然の中に響く人工の音という対比も感じられ、その読後に考えさせられる余韻もあると思いました。
Posted by 戸似田一郎 at 2020年08月16日 07:43
朝霧のふかき森まで響きたるダム放水のサイレンの音

一読情景がうかび素敵な一首だと思いました。
ネット歌会の楽しさは、どういう事かな?と思ったときにすぐ調べられることなのですが
「森」「ダム放水のサイレン」と検索しても、どの森もダム名も出てきませんでした。
「ダム放流警報」や「ダム観光放流」という言葉は出てきましたが、朝霧の深き森と作者の立ち位置となぜそこにいるのか、この放流が最近の豪雨による水位調節によるものか、定期放流か、不穏とよむのかが、わからず票を入れられませんでした。
作者名がわかった後是非どちらのダムかなんという森に何をしていた時なのかお教えいただけたら嬉しいです。


Posted by 西五辻芳子 at 2020年08月21日 08:25
以前、黒部ダムの観光放水に架かる虹を観て感動した記憶があります。
観覧スポットの位置からその迫力の違いなど実感できるようですが。

この歌のダム放水は警報のサイレンがあり、悠長に眺める観光のものとは違い、緊張感がありますね。
この一首からは不穏な感じはなく、情景がすっと立ち上がり森にふさわしいスケールの大きな歌として一押しで投票しました。





Posted by 馬淵のり子 at 2020年08月21日 10:48
山寺です。竹田さん、お久しぶりです。11票の投票があり、よかったですね。遅くなりましたが、僕も2番目に選んだ歌ということで、出詠者以外も含めたら12票となります。勝手に加えて済みません。「届きたる」と「届きくる」についてですが、作者の元の形の「届きたる」の方でいいとおもいます。理由1、短歌は基本的には、一瞬を(言葉で)切り取った方が相対的には良いので、ここでは、「届きたる」に替えると、音に動きが出て、短歌の一瞬の情景が場所的にも、時間的に拡散してしまうような気がします。また、森よりも音の方により比重かかかって、音主体になるように思います。題詠とはいえ、東京(大都市)に住んでいる自分には出来ない歌で羨ましいです。今後とも宜しくお願いします。
Posted by 山寺修象 at 2020年08月24日 08:49
僕の前コメント中、「届きたる」「届きくる」は、全て「響きたる」「響きくる」の間違いです。大変失礼しました。久しぶりの参加で「記事に戻る」蘭があるのに気が付かず、確認しないで書いてしまいすみませんでした。
Posted by 山寺修象 at 2020年08月24日 09:02
作者の竹田です。たくさんの票とたくさんの意見をいただき本当にありがとうございます。これからの参考にします。
それから、この場を借りて申し訳ございませんが、山寺さん復活おめでとうございます。最近短歌人で作品を見かけて嬉しく思っていた次第ですが、貴重な意見をまでいただいて感激してます。
ところで、ダム放水の件です。当日は雨が止んで霧がまいていたので、昨年の台風の時のようなせっぱ詰まった緊急放水ではないです。詳しい事情はわかりませんが、連日の梅雨の長雨のため平生より早く(たしか8時過ぎに)放水のサイレンが鳴り、それをたまたま山の中で聞いたので作品にしました。
Posted by 竹田正史 at 2020年08月24日 19:53
訂正、お詫びです。
僕の最初のコメント中、本来間違っていたのですが、2つ目の「届きたる」の「たる」は「くる」が正しいです。5年ぶりに作歌を再会したばかりで、まだ、短歌脳が錆び付いているみたいで、大変お騒がせしました。短歌の勉強に、作歌に、一首評に真摯に取り組んでいきますので宜しくお願いします。また、竹田さんには逆に感謝して頂き、こちらこそ光栄です。
Posted by 山寺修象 at 2020年08月25日 09:10
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