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第44回ネット歌会詠草/21
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2020年11月14日
第44回ネット歌会詠草/22
霊柩車は気配を消して停まりたり小さき斎場下の道路に
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posted by 短歌人会 at 00:05|
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この記事へのコメント
「下の道路に」でどういう情景になっているのか少し分かりにくくなっているような気がします。
たとえば「小雨降りたり」みたいな言葉を入れて、分かりやすくするのも一つの手かなと思いました。
上の句でだいたいのことは言えていると思うので…
Posted by 木嶋章夫 at 2020年11月20日 12:35
一読して、情景のよくわかるいい歌だと思いました。最近の霊柩車は昔よく見かけた派手な宮付でなく、黒一色のシンプルなものが多いですが、「気配を消して」いても、斎場前でなく下の道路に停まってても、すぐに霊柩車と気付かれてしまいます。霊柩車から人の死を嗅ぎ取ってしまうという、見る側の意識の問題でしょうが、霊柩車自身がその存在を憚り、気配を消そうとしているという指摘がとても鋭いと感じます。
Posted by 亀尾美香 at 2020年11月20日 23:30
前評で亀尾さんがおっしゃっているのと同感で、霊柩車がひっそり気配を消して停車している風情がいいなと思います。
わたしは「たり」が完了なのか、存続なのかでちょっと情景の把握に混乱がありました。停車している、という意味でしたら今日は葬儀のない日で霊柩車も駐車場で待機中なのかなと思ったのですが、今まさに停車した、というふうにも読めるように思います。歌の味わいがちょっと変わってくるので、作者の方の意図しない読みになってしまうかなと感じました。私は今まさに気配を消して斎場下に停まった、というふうに読みたいです。そのほうが、霊柩車もまた死者を悼んでいるように感じられるからです。
Posted by 桃生苑子 at 2020年11月25日 21:46
霊柩車は気配を消して停まりたり小さき斎場下の道路に
「気配を消して」停まったということは、
走っている最中は、それなりの存在感を発揮していたのですね。
(停まっていたのなら、「停まりをり」になるでしょうか?)
豪華な宮型の霊柩車は減っている、と読んだことがありますが
シンプルな黒い車だったのでしょう。「小さき斎場」と釣り合うような…
(斎場とちぐはぐな豪華な車とみると、絵としては面白くても、気配を消すのは難しそうです)
シンプルでもすぐに霊柩車と気づいてしまうのは、見る側の不安ゆえなのですね。
死が生の世界から切り離され、忌むべきものとして隠され、隅へ追いやられてゆく、
現代社会のあり方が透けて見える鋭いお歌だと思います。
Posted by 川上幸子 at 2020年11月29日 15:58
木嶋さん、亀尾さん、桃生さん、川上さん、コメントをありがとうございました。
私のイメージでは霊柩車がずっと停まっている光景でしたが、「停まりたり」では存続か完了か解りにくかったですね。
「停まりをり」の方がよかったかもしれません。
しかし皆さまのご意見を読むと霊柩車が近づいてきて停まった光景の方が動と静の動きや時間の経過がありいいような気がしてきました。
それで「停まりたり」はそのままで。
Posted by 海野 雪 at 2020年12月04日 21:23
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