この記事へのコメント
「芙蓉流るる冬の速度で」という下の句が魅力的なのだが、真ん中の「眺むれば」の語感が古臭く思える。何か別の言い方があるのではないかと思えるのだが。
Posted by 藤原龍一郎 at 2020年11月19日 19:18
芙蓉は冬には咲かないので、不思議な歌です。
「冬の速度で」というところ、詩的でいいですね。
北風をイメージするような速さでしょうか。
Posted by 木嶋章夫 at 2020年11月20日 13:47
枯芙蓉という冬の季語があるので、そこは違和感がなかったのですが「冬の速度」が難しかったです。

なんとなく芙蓉の花が咲いていれば車窓からも「ああ、咲いているなあ」と眺める時間を楽しめるが、枯れた芙蓉は体感的にもあっという間に目の前を過ぎてゆくという意味かもしれません。
Posted by 光本博 at 2020年11月20日 22:17
私は「冬の速度」はゆっくりとした速度を連想しました。
人生を四季に喩えるなら冬は時が一番ゆっくり流れていくのではと。
(その時期を生きている人にとっては1年はあっというまに過ぎていくのですが、変化が少ないという意味で<冬>はゆっくりではないかと)
また山をくぐっているようなバスはきっとゆっくり走っていると思うので。
Posted by 海野 雪 at 2020年11月20日 22:47
作者の高良です。コメントくださいました藤原さん木嶋さん光本さん海野さん、ありがとうございました。

奄美ではサキシマフヨウが、寒くなる11月後半から咲き始めます。山の坂道の脇などでは野生の見事な樹がたくさんの花を付けますので、その様子は力強くも幻想的です。

「冬の速度」は「山くぐる」にかかってやはり車重のあるバスが登り坂をゆっくり走っているイメージでした。全体的に着想を具体的なイメージとしてストレートに描く事に苦心し、藤原さんが指摘するように平凡で飛躍のない「眺むれば」がバランスを崩してしまったように思います。
Posted by 高良俊礼 at 2020年12月06日 23:52
高良さん、私は見たことがありませんが冬に咲くというサキシマフヨウのイメージが浮かびます。
推敲でほかの言葉を削ってせっかくの固有名詞のサキシマフヨウを入れてみてください。
歌の印象がまったく違ってきますし、より魅力的になると思います。
Posted by 海野 雪 at 2020年12月07日 09:56
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