この記事へのコメント
 雨ざらしのベランダなどに履く人のいない雨靴が放置され、そこに雨水がたまるままにされているようです。この雨水は作中主体の涙の喩ともいえそうです。雨靴の深さの描写に雨水が降っても降ってもまだまだいっぱいにならない、涙にくれる作中主体の悲しみの深さがあらわれていると考えます。
Posted by 光本博 at 2020年11月17日 22:18
なんとなく「あなた」はもう亡くなっているような雰囲気を感じました。
最後の「日」が効いているのだと思います。
Posted by 木嶋章夫 at 2020年11月20日 12:59
愛した人の雨靴なら、あつかいがゾンザイなように思います。何か嫌な事のあっての別れで、雨ざらしにしている怨念のようなものを感じました。
Posted by たかだ牛道 at 2020年11月26日 19:34
光本さん、木嶋さん、たかださんコメントありがとうございます。作者の国東杏蜜です。

ちょっとさみしい、でも忘れてたなという感じに詠めたらよかったのですがまだまだかもしれません。参考にします、ありがとうございました。
Posted by 国東杏蜜 at 2020年12月04日 23:00
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