この記事へのコメント
>庭の隅に〈保存樹木〉の看板のくくりつけられる欅が二本

 どこか通りから見えるお宅でしょうか、その庭隅に立つ欅に看板「保存樹木」が括りつけられてある。樹齢何百年とか、何か故事来歴のある欅でしょう。それは良いとして、「くくりつけ」てあるのが何ともはや。 保存したいのであれば、樹の前か横にでも立てればいいものを。ここに、作者の些かの揶揄が見えて、一首になっている。

 「くくりつけられる欅」という書き方が少し苦しい気もします。「くくられている」くらいでもいいような気がしますが、如何?
Posted by 弘井文子 at 2020年11月20日 18:05
塀越しによその家の庭隅の欅に目がとまったのでしょうか。保存樹木二本ということは、家自体がかなり大きな邸宅なのでしょう。
わが世田谷区の指定基準をみると、欅のような高木の場合、幹周りが1.2m以上で、樹形の優れているもの、とされています。〈保存樹木〉のプレートは、針金で幹に巻きつけてあるのが標準のようです。
前評者と同じように私も、「くくりつけられる」の表現がしっくりこずに、状態を示すのであれば、「くくりつけられた」又は「くくられている」がよいのではないでしょうか。
歌の情景はよくわかかりますが、作者が何に心を動かされたのかの歌の眼目が、もう少し読み取れるとよいと思いました。
Posted by 肥塚しゅう at 2020年11月21日 14:03
作者の思いはやはり「くくりつけられる」なのでしょう。そこには強制の束縛があり、人間のご都合で保存あるいは伐採の選択がなされる不条理を作者は感じている。
Posted by たかだ牛道 at 2020年11月26日 20:55
みなさま、ご意見ありがとうございました。
作者としては四句をあえて字余りにしているので、
たかださんのご意見がまさに我が意を得たりでした。
御礼を申し上げます。
Posted by 生沼義朗 at 2020年12月09日 11:52
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