この記事へのコメント
 一般に向日葵は明るさの象徴として扱われ、イラストでは笑顔まで書き加えられたりしますが、作者はそうした風潮に異を唱えているかのようです。開花時期を過ぎて頭を垂れている向日葵に対してそっとしておこう、休ませてあげようという訴えとも読み取れます。それは同時に作者の心の安息でもあるのでしょう。
Posted by 光本博 at 2020年11月17日 22:17
この歌の感性にすごく共感します。
私も元気の象徴として明るく空を見上げることを期待され続ける向日葵はしんどいだろうと感じるからです。
そして枯れかかってうなだれている向日葵を見て何かほっとする気持ちも同じです。

明るくて周囲を元気づけてくれるような人はそれでも気分が落ち込むときもあるだろうに、つい無理していつも明るく見せているのかなと、そんなことまで思うのです。
Posted by 海野 雪 at 2020年11月18日 08:24
みなさんのように「笑顔を義務付けられる」という視点に同感。明るくなれないときだってありますよね。一首の中に過去が二つ出るところが残念。短歌は過去を表すときには一ついれれば、それが過去と分かるそうです。
Posted by 間 ルリ at 2020年11月20日 16:58
>間さん
過去が二つというのは「義務付けられた」と「自由を得たり」のところでしょうか。
「義務付けられた」は口語になっていますが、文語にすると「義務付けられし」(過去)か「義務付けられたる」(完了・存続)で、ここでは前者だと思います。「得たり」は完了ですが必ずしも過去を表すわけじゃないので、「(過去において)義務付けられていた」が「(現在になって)自由を得た」と僕は読んで、違和感は感じませんでした。

歌の内容については皆さんのおっしゃるとおり共感できるものです。共感性の高い内容だと逆に意外性は薄くなってしまいがちですが、この歌の場合は擬人法が効果的で完成度が高いと思います。
Posted by 寺阪誠記 at 2020年11月20日 22:09
老境に入って、競争、虚勢、儀礼などの一切から解放されて自由の身となったわが身になぞらえて大いに共感しました。勢いの盛んなひまわりに材をとったのもよかったと思います。
Posted by 井忠明 at 2020年11月21日 09:13
笑ふことを義務付けられた向日葵は枯れて俯く自由を得たり

向日葵は動く太陽につねに顔を向けているから、忙しくて大変だろうと思います。
向日葵畑には、たまに一輪、そっぽを向いているのがあって、
そこにピントを合わせた写真を見ることがあります。
枯れて俯いた向日葵に注目するのも、おなじような感情移入によるものでしょうか。

この向日葵に種はあるのでしょうか。「枯れて俯く」のは寂しげな風情ですが
実りの重みで俯いていると深読みすれば、熟年や内省のシンボルとも取れそうです。
「自由を得た」る向日葵にエールを。
Posted by 川上幸子 at 2020年11月23日 15:49
共感されているみなさんと同じく、私も心惹かれた一首でした。ただ一点、下の句の解釈に迷うところがありました。「枯れて俯く自由」なのか、向日葵は枯れたので「俯く自由」なのか。何の自由を得たのかが気になりました。
Posted by 加藤隆枝 at 2020年12月01日 20:22
光本様、海野様、間様、寺阪様、高井様、川上様、加藤様、コメントありがとうございました。目にとめて評をお寄せくださいましたことにお礼申し上げます。

>一首の中に過去が二つ出るところが残念。
この間様のご指摘については、寺阪様が作者の意図を汲んでフォローくださったとおりです。
ですが、そもそもの問題は文語口語が混ざってしまっている(寺阪様ご指摘の通り「笑ふことを義務付けられし向日葵は枯れて俯く自由を得たり」ならこのような混乱は生じません)ので、その点も今後推敲の際に留意したく思います。

>実りの重みで俯いていると深読みすれば、熟年や内省のシンボルとも取れそうです。
川上様のこの読みは全く意図しておらず、新しい素敵な視点をいただいてとてもうれしいです。ありがとうございます。

>「枯れて俯く自由」なのか、向日葵は枯れたので「俯く自由」なのか
加藤様にご指摘いただき、初めてそこで区切ることでニュアンスが変わってしまう可能性に思い至りました。
作者の意図としては「枯れた」ことによって「俯く自由」を得たというつもりでした。
この辺りをもう少しスムーズに読者に渡せるよう、もう少し推敲したく思います。

皆様が共感して読んでくださいましたことに感謝します。ありがとうございました!
Posted by 桃生苑子 at 2020年12月04日 21:15
「向日葵」は絵画でもゴッホやゴーギャンなどなど、映画でもソフィア・ローレンのものなど、芸術、文学のさまざまな場面で使われ「向日葵」は魅力的な題材であると同時に、なかなかハードルの高いものでもあると思います。
ここでの歌は実際のお花である向日葵そのものに当てはめるよりも、枯れる、という一見否定的なものを肯定的に転化する眼差しが象徴的に描かれていると感じました。作者の桃生さまが書かれているように、「熟年や内省のシンボル」という川上さまの読み方が素敵だと思いました。
Posted by 千葉みずほ at 2020年12月06日 23:51
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