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短歌人会の公式なネット歌会会場です。
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2021年05月02日
posted by 短歌人会 at 00:06|
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第45回歌会
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空き缶を運ぶ二人は空き缶の回収業の人だと思います。都市生活を維持するには彼/彼女らのような労働者が不可欠ですが、多くの場合は気に留められることもない。この歌の場面でも雑踏の中にありながら、そこにいない者であるかのように無視されている。そこから目には見えない存在、妖精という発想が引き出されたのだと思います。
一首を読むと、都会の妖精というメルヘンチックな導入から空き缶運びという労働のリアルな場面へと展開して、そのギャップに心揺さぶられるものがあります。
二人がかりで運ぶ空き缶の嵩と景が立ち上がる一首ですね。
ボランティアで空き缶回収している二人を純真な妖精に見立てた
都会でのひとこまを詠った一首だと解しましたが、この二人に関しての
情報がないので、もしかしたら空き缶回収をなりわいにしているホームレスの二人かもしれませんね。性別も判らないので女性二人、男性二人、男女二人?
年齢も判らない、ただ助け合って雑踏を、二人がかりで空き缶を運ぶ姿から都会にも妖精がいると、言いきったことが詩になっていますね。
「雑踏」は大まかな表現で読み手の共感を得やすいものの、「都会にも」は「田舎には」の反語を想起するので、「雑踏」のみの方が理解しやすくどのような人々がどの様な時間に運びゆくのかを丁寧に表現するとよりリアルに作者の言いたい事が伝わりやすいと思われます。
アルミ缶は軽くて凹みやすくて多分もともとはビールかチューハイで(コーヒー缶はだいたい固いスチール缶ですよね)路上飲酒かなんかでその辺に放置されて、真ん中が潰れた缶が、スチールなら潰れないのでまっすぐ転がるところを、コロンコロンコロンと人混みをうまくすり抜けるように、弾んで、進んでる、たぶん雑踏とは通勤の朝でしょう、この都会ならではの夜と昼の感じが全部入っていていいなと思いました。