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2021年05月02日
第45回ネット歌会詠草/19
ひらがなの恋の行方はgoogleも相手にしない おげんきですか?
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posted by 短歌人会 at 00:07|
Comment(5)
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この記事へのコメント
面白い歌だなと思いました。
ただわからないことだらけで、「ひらがなの恋」ってなんだろう。
歌にあるgoogleで検索しました。
欅坂46の「ひらがなで恋したい」という曲名がでてきました。
わかりやすい恋、難しく考えないで恋をしたいということでしょうか。
googleが相手にしないのは恋の行方が作者にはわかっているから?
どなたか解説お願いします。
Posted by 馬淵のり子 at 2021年05月14日 16:41
ひらがなの恋の行方はgoogleも相手にしない おげんきですか?
情報が少ないので様々に解釈できそうなんですが、私は作中主体が子供の頃、それも保育園児や幼稚園児の頃に好きだった子の名前をふと思い出して、検索してみたのだと思います。実名でSNSをやっている人も多い時代なので、旧知の人の名前で検索するとヒットすることがあります。しかし、主体はその子の名前をひらがなでしか知らないので、さすがにGoogleでも見つからなかった、ということでしょう。
結句、「おげんきですか?」は受けてもおらず、ぽんと宙に浮いたつぶやきのようです。SNSで人とつながりやすくなった時代ですが、かつては会えない人のことは思い浮かべるしかなかったなあ、と懐かしさと同時に新鮮な感覚を受けました。
Posted by 寺阪誠記 at 2021年05月16日 21:00
ひらがなの恋の行方はgoogleも相手にしない おげんきですか?
「ひらがなの恋の行方」は和歌を贈りあう恋ではなく、小学校一年生か幼稚園の頃の初恋の人の行方をgoogleで検索したのでしょう。
「相手にしない」は、まったく手懸かりがつかめず、擬人化したgoogleも作中主体をからかって相手にしてくれないと。
一字あけの効果がありますね。
結句が口語のひらがなで おげんきですか? としたところがいいですね。
「 」なしでもうまくおさまっています。
ひらがなの恋は、ひらがなでしか判りあえないのですね。
Posted by 西五辻芳子 at 2021年05月19日 05:57
馬淵様、寺坂様、西五辻様、コメントありがとうございました。
ご指摘の通り、「ひらがなの恋」とは漢字を知らなかった頃の恋のことです。
彼女は小学一年生のときに隣りの席で、たしか二年生の秋頃に東京から神戸に転校してしまいました。
それから四半世紀が経った今、ふと思い出してGoogle検索をかけてみても読みだけでは彼女にたどり着くことができず、元気かなぁという思いをそのまま歌にしてみた次第です。
発表後に考えたことですが、たとえネット上で彼女を見つけられたとしても何もできないと思うので、いずれにしろ結句のこの問いはどこにも届かないのだと思います。思い出話をしようにもあの頃の記憶があまりないし、あれからの話をしようにも四半世紀は長過ぎます。
そういう意味でも初恋は初恋のままそこにあってときどき思い出すくらいのものでいいのかもしれません。西五辻さんの評を借りるなら「ひらがなの恋はひらがなでしか判りあえない」もので、無理に現在に引っ張り出すと損なわれてしまう脆さもありますね。
今回初めて歌会に参加してみて皆様の歌や評を通じてこのように自分の歌を客観的に読むことができました。ありがとうございました。
Posted by 野崎挽生 at 2021年05月30日 11:04
先ほどの投稿、寺阪様の名前の表記を誤って投稿してしまいました。申し訳ありません。
Posted by 野崎挽生 at 2021年05月30日 11:06
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発表後に考えたことですが、たとえネット上で彼女を見つけられたとしても何もできないと思うので、いずれにしろ結句のこの問いはどこにも届かないのだと思います。思い出話をしようにもあの頃の記憶があまりないし、あれからの話をしようにも四半世紀は長過ぎます。
そういう意味でも初恋は初恋のままそこにあってときどき思い出すくらいのものでいいのかもしれません。西五辻さんの評を借りるなら「ひらがなの恋はひらがなでしか判りあえない」もので、無理に現在に引っ張り出すと損なわれてしまう脆さもありますね。
今回初めて歌会に参加してみて皆様の歌や評を通じてこのように自分の歌を客観的に読むことができました。ありがとうございました。