この記事へのコメント
 警察の取り調べでは、容疑者に親子丼を供し、気持ちをほぐしたところで自供させると聞いたことがあります。半熟卵をほおばる容疑者に、母鳥ならぬ母親を思い出させほろりとさせる、「常套」手段なのですね。
 ということは、「カツ丼でも食へ」と言われている相手は、容疑者ではなく取調官でしょう。自供を勝ち(カツ)取った報酬です。
 「でも食へ」というぞんざいな命令形に、話者の批判がこめられているようです。たとえば、容疑者に「おふくろさん」と呼びたくなるような母親がいるとは限りません。
 「常套」による他者へのアプローチはしばしば独断に満ち、画一的です。このケースが冤罪でなければよいのですが。
Posted by 川上幸子 at 2021年05月08日 16:22
「おふくろさん、泣いてゐるぞ」が常套の自供のあとは、カツ丼でも食へ

たまたまですが、今回「  、  」から始まる歌が二首が出ていて
字面への既視感があり、この一首では読点が四句のあとにもあります。

短歌はもともとあるしらべのそれぞれの句間の共通認識の間があり
それをどうしても崩して切る場合「読点」を必要としますが、四句のあとの読点により、読みが複雑になり、前評のように、自供を勝ち取った取り調べ官への上官のおごりのカツ丼という読みがうまれています。

ドラマで自供のシーンにどんぶりが出ていますが、親子丼だとは知りませんでした。

三十一文字の中に登場人物が三人ではていねいに深く詠めないので、このまま助詞を動かして推敲するより、もう少し的をしぼりあなたの「こゑ」がききたいです。画一的な独断による常套のアプローチは文芸ではあってならないと心しました。
Posted by 西五辻芳子 at 2021年05月13日 04:01
作者の肥塚しゅうです。コメント 有難うございました。
昔の刑事ドラマの取調室の場面で、ドラマのなかではお決まりのシーンでしたので「常套」としました。
暗くて狭い取調室に刑事と若い容疑者がいて、刑事が「おふくろさん …」と言って容疑者に迫り、自供を引き出したあとに、容疑者に「お腹減っただろう、カツ丼でも食べろ」と丼を差し出します。
昭和の人情味があるこのような刑事ドラマがいまではなくなってしまい、寂しく思います。
異なる読みもされてしまうようなので、下手な歌でした。(反省)
Posted by 肥塚しゅう at 2021年05月29日 14:48
「おふくろさん、泣いてゐるぞ」が常套の自供のあとは、カツ丼でも食へ

作者の「こゑ」が聞けて、成る程と思いました。
一読作者の制作意図どおり読んでいたので、昭和のドラマの自供シーンですね。この頃は、食べ物はたとえ取り調べ官のおごりでも取り調べ室では禁じられているようです。(ネットで検索しただけですが)
ドラマでは、カツ丼をよく出すそうです。(これもネット検索ですが)
何か有名なシーンだと、すぐ読み取れたのですが、失礼しました。
読点をとれば、充分伝わりますね。「へた」なんておっしゃらないで下さい。
私が読み取れなかったのですから。あやふやな事が多いこの頃、良く出来た
一首でした。
結句の取り調べ官の言葉は、昭和の人情があり印象に残る一首ですね。

Posted by 西五辻芳子 at 2021年05月30日 04:57
西五辻さん、
ありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。
Posted by 肥塚しゅう at 2021年05月30日 17:02
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