2021年05月02日

第45回ネット歌会詠草/5

さまよえるオランダ人にあらざるも聖火ランナー永劫(とわ)なる走り

※カッコ内はルビです。
posted by 短歌人会 at 00:22| Comment(5) | 第45回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ワーグナーの「さまよえるオランダ人」は、呪いにより死ぬことができない幽霊船の船長が出てくる話ですが、コロナ禍により開催が危ぶまれているオリンピックの聖火リレーとの対比させた時事問題を扱った短歌だと思います。
呪いとコロナ禍の違いはあれど、船長も聖火ランナーどちらも自分の意志でおりることができないという共通点が面白いです。
Posted by 庭鳥 at 2021年05月07日 07:51
さまよえるオランダ人にあらざるも聖火ランナー永劫(とわ)なる走り

一読難解で読み取れず「さまよえるオランダ人」を調べました。
歌評が長く読みづらくて申し訳ないのですが、
ワグナーのオペラで、神罰でオランダ人の幽霊船がこの世と煉獄をさまよい、呪いで船長は7年に一度上陸できるがその呪いは、「乙女の愛」によって解かれるので、財宝を渡しその娘と出逢い、娘も救いたいと思うが、その娘は別の青年に愛されていて、その愛にオランダ人は裏切られたと去りゆくも、娘はオランダ人への純愛を自ら海に投身し証明すると、幽霊船は呪いを解かれ沈没し娘とオランダ人は昇天していくというあらすじ。

オリンピックが昨年は延期となり本年も新型コロナ感染症はいまだ衰えずワクチンができたものの、第4波がおこりぎりぎりの状況で、聖火ランナーがはしり平和の国際スポーツ競技大会へとそのオリンピック精神の象徴の「聖火」をつなぎリレーしているのですが、この一首は「平和」がいかにたやすくないか、聖火ランナーは逆説として永劫に走るのだよと詠われています。
前評者の評だと、聖火ランナーを辞退している方がいるのでそういう点はさまよえるオランダ人とコロナ禍はちがうのではないかと思われます。
Posted by 西五辻芳子 at 2021年05月09日 07:58
「さまよえるオランダ人」は呪いによって海をさまよいつづける幽霊船の船長の物語。
東京オリンピックの聖火リレーは無観客になったり、公道での走行を諦めて周回コースを延々と走ることになったりと本来のあるべき姿からかけ離れてしまって、虚無感の漂うものとなってしまいました。本来の活気が失われてしまったことや延々と周回するところが幽霊船のイメージと重なり合うと思います。
「永劫」に「とわ」とルビを打つところもポイントだと思いました。哲学では「永遠」と「永劫」を区別するらしいので、作者はそれを意識しているのかもしれませんが、私は単純に字面から「劫火」とか音の「ごう」から「業」を連想しました。「永遠」とするより重々しい印象になり、この歌には合っていると思います。
Posted by 寺阪誠記 at 2021年05月09日 20:11
公道での中止が相次ぐなかで、福岡県では聖火リレーが全面中止になり点火セレモニーだけになりました。不安のなかでの「聖火ランナー永劫なる走り」はイメージとしては判りますが、このような状況下では、心のなかで聖火を繋いでいるということかも知れません。
Posted by 肥塚しゅう at 2021年05月17日 10:32
さまよえるオランダ人とはよいたとえだと思いました。
死ねないのが呪いというのはキリスト教的な考え方なのかもしれませんが、日本流に言えば港に入れず、それを諦めることができないという妄執にとらわれているのが不幸だということができると思います。つまり、帰りたいのに帰れない。(船が幽霊船になっていることから浦島太郎的に時間は過ぎ、帰りたい場所はすでになくなっているということもできるでしょう)

聖火ランナーは今も疫病の蔓延する日本を走っています。もしオリンピックが中止になったとき、聖火を持って誰かがさらに走り続けなければならないのではないかとおもってしまいます。もちろんそうでないことは頭ではわかっていますが…… 
Posted by 国東杏蜜 at 2021年05月26日 12:31
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