この記事へのコメント
突発的な道路封鎖により鮮魚が届かずランチ営業をできずにいる寿司屋の様子を詠んだ一首として読みました。
「場当たり」「たちまち」の語意や語感で全体のドタバタ感を演出し、刻一刻と新鮮さを失う「鮮魚」が時限装置としてうまく機能しています。海や川という広い世界にいたはずの魚が狭い道路上で鮮魚ですらなくなろうとしているイメージには、歌全体のドタバタ感も相まって風刺のきいた魅力を感じました。
Posted by 野崎挽生 at 2021年08月07日 10:58
オリンピックの競技会場の近くのお寿司屋さんかと思いました。人流を減らすためと言って通行止にしたり迂回路を行かされたり。
新型コロナウイルス対策もオリンピックの運営も場当たりの政権に対する揶揄と下々の苦しみを歌われたように感じました。
Posted by 鎌田章子 at 2021年08月09日 07:09
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