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短歌人ネット歌会場
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第46回ネット歌会詠草/9
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第46回ネット歌会詠草/7
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2021年08月01日
第46回ネット歌会詠草/8
あの穴を瞳と信じるためにまた幼子つれてエイを見にゆく
【選歌集計結果=7票】
【投票者=五十嵐真希/鎌田章子/高田 圭/高良俊礼/竹田正史/光本 博/鑓水青子】
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posted by 短歌人会 at 00:15|
Comment(4)
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第46回歌会
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この記事へのコメント
「あの穴」とはどの穴なのかが問題ではあるのですが、どうもエイの瞳がどこなのかで子供と意見が分かれているように思えます。それではっきりさせようということで水族館に確かめに行く。「信じる」というのは図鑑やネットの知識ではなくて目で確かめることによって理解するという意味ではないかと思います。「また」というのは前にも同じようなことがあったという含みのある表現と考えられ、時間の経過とともに記憶があいまいになったということなのかもしれません。
Posted by 光本博 at 2021年08月07日 08:02
水族館のガラスに張り付くようにして泳ぐエイをガラスのこちら側から見ると、まるで人の顔の様に見えると思います。
実際の目は、ガラスと反対側にあるわけですが、それはそれとして、今の時点では幼子にあれが可愛らしいエイの顔として、見せてあげたいという親心が読み取れる様に思います。
Posted by 高田 圭 at 2021年08月07日 12:23
「あの穴」は、エイの腹側のエラ(?)を指しているようですが、確かに顔みたいで、種類によっては可愛い顔に見えます。私には、穴がいくつもあることで「顔」に見えるのですが、それを「瞳」に限定したのは何故なのかな?と思いました(光本さんのおっしゃるように、具体的にどれかの穴を「瞳」と思い込んでいるのか?)。
エイのエラを「顔」と思い込んでいる幼子にせがまれて、何度も水族館へ足を運ぶという情景は、とても微笑ましいです。
Posted by 亀尾美香 at 2021年08月07日 12:28
光本さん、高田さん、亀尾さん、コメントをいただきありがとうございました。
幼いとき、水族館の大きな水槽で見たエイの顔はニッコリと笑っていました。顔だと思っていたのは腹部であり、瞳に見えた穴は鼻孔であると少し大きくなって知りました。
最近姪と水族館に行った際、あのころの自分と同じように腹部を顔だと思い「へんなかお〜」とはしゃいでいる姪の姿を見て、どこかうらやましさを感じました。そこは顔ではないという事実を知ってしまった私はもうエイのニッコリと笑った顔を見ることができないからです。年を取り失ってしまった部分を目の当たりにしたように感じました。
「瞳と信じる」の主語は<私>です。幼い姪の目を通して、またエイのニッコリと笑った顔を見たいという願望を込めた歌でした。年を取って失ったものを取り戻しにいくイメージを込めるには、自分の子どもではなく姪であることも出した方が良かったなぁと思いました。
皆さんのご指摘は実にするどく、具体的にどの穴を瞳とみているのか分かりにくかったと思います。顔ではなくて瞳と限定したのは、鼻孔を目とみることができれば自ずと腹部=顔として見ることができると考えたからです。ただ、種類によって穴の数は違うようなので読み手に委ね過ぎてしまった部分でした。貴重なご意見どうもありがとうございました。
Posted by 野崎挽生 at 2021年09月15日 16:00
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