2021年11月22日

第47回ネット歌会詠草/21

悪人のでざる映画をみしのちの空に半月おぼれてゐたり
posted by 短歌人会 at 00:04| Comment(6) | 第47回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
みんないい人ばかりの映画を観て生ぬるい、物足りない気持ちを味わった。その心象の表現として半月がくっきりとではなく、ややにじんだ感じで浮かんでいる。という意に取りました。

私の個人的意見で申し訳ないのですが

悪人のでざる→悪人の出ざる
映画をみし→映画を観し

とここは漢字にしたほうが読みやすいように思えました。
Posted by 光本博 at 2021年11月26日 19:40
「悪人のでざる映画」、一本の映画を簡潔すぎるほどにまとめていて、個人的に好きな表現です。
おそらく穏やかで心温まる映画だったのかなと思いきや、下句は「半月おぼれてゐたり」と少し不穏さが感じられ、心の闇がはみ出してくるような、人間の不可思議さを感じる歌だと思いました。
Posted by 伊藤まり at 2021年11月27日 15:54
山寺修象です。皆さん、お久しぶりです。1年半前頃に生き返ったので、また宜しくお願いします。詠草出詠に遅刻したのでコメントのみで参加させてもらいます。
「でれる」と「みし」を両方とも漢字にすると、半月までの18文字のうち、ちょうど半数の9文字が漢字になり、そこの部分までですが、漢字が多すぎる短歌になるので、漢字とかな文字の振り分けについては、原作のままでいいとおもいます。最後の方を全部ひらがなにしてあるのもいいとおもいました。おそらく、この人は漢字とかなの使い分けが充分できている人だとおもわれます。
Posted by 山寺修象 at 2021年11月28日 10:18
文法に決して明るくない私が書くのは気がひけますが、二句の「でざる映画」に違和感があります。
つまり、「ざる」は文語の打ち消しの助動詞「ず」の連体形であり、「でざる」は、口語の「出る」の語幹「で」と文語の「ざる」をつなげているので、「出ざる」は口語+文語で何とも不思議な用法です。文語に統一して「出る」の文語形「出づ」を用いて「出でざる映画」とするのであれば、まあ分かります。
しかしながら、そもそも「映画に出る」という言葉の使い方が現代の使い方(映画に出演する、の言い換え?)であるということです。文語の時代にはなかった使い方なので、ここは口語を用いて「悪人の出ない映画」とする以外にないのではないでしょうか。
いま一度「でざる」を考えると、例えば「出ざるを得ない」という使い方は一般的になっていますので、「でざる」が用法的に誤りというわけではなく、文章的表現や慣用的表現にかぎり用いられているようです。
言いたいことは、「でざる映画」とつなげることが感覚的に違和感があるということです。
理屈っぽくてすみません。皆さん、どう思われますか?
Posted by 肥塚しゅう at 2021年12月01日 09:55
弘井文子です。
ご批評、ありがとうございまし。
「昨日何食べた?」を観てきました(^_-)
Posted by 弘井文子 at 2021年12月21日 07:50
僕は「でざる」は、割とスムーズに受け入れることができました。
文法や辞書は、基本的に過去の言葉の現状についてのまとめ的なものです。現に今現在新しく使われている若者言葉は、幅全部辞書にないし、少し前まで、「むずい、はずい」は、なかったし、明らかな誤りでしたが、今は、「難しい」「恥ずかしい」を使う若い人はほぼゼロです。「難しい、恥ずかしい」を知らない若者もいるとおもわれます。
例えば、過去の推量の否定形は1000年前にはありませんでした。ということで「ではなかったであろう」は文語文法では書けなくて、現代の使い方を文語文法では書けなくて困る時があります。
短歌を文語文法旧仮名今の漢字で書くのは、それまでにそう使われて来たことは、歴史上一度も無く、短歌や俳句の世界以外にはない、とても特殊で変形の不自然な日本語の文字文化現象なのだとおもいます。
ということもあり、口語の文語(文法)化も、一つ一つの例で、是々非々を問うのも強ち間違いではないとおもいます。
方言や新語や若者ことばには、辞書の間違い例から始まることもあるし、「あなた」や「一所懸命」や「らぬきことば」など長い年月をかけて変わることばもあります。
Posted by 山寺修象 at 2021年12月24日 06:11
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