この記事へのコメント
柴栗は縄文びとのゆきかえし峠の道に転がりており

「芝栗」は、縄文時代から食用とされていた山に自生している栗のことだそうで、「峠の道に転がってる」のは納得できます。
この一首は、文語・新かな遣いで書かれており、そうだとすると「ゆきかえし」が正確かどうか不明です。「行き交う(旧かなは「行き交ふ」)」に文語の過去「き」の連体形「し」につなげるのであれば、「行き交いし(旧かなは「行き交ひし」)だと思いますので、この歌の新かな遣いでは「ゆきかいし(峠の道…)」となるのではないでしょうか。
なお、「行き交える」という現在形はありますので、「ゆきかえる(峠の道…)」という使い方はあると思いますが、縄文びとの行為なのでちょっと変ですね。どうでしょうか?
私も確信はないので、どなたか教えていただけないでしょうか。
Posted by 肥塚しゅう at 2021年11月29日 17:36
 肥塚しゅうさんの評にある通り、わたしも「ゆきかいし」、「おり」が新仮名なので、新仮名で、だと思います。
 結句「転がりており」が少しそっけないというか、なにか違う表現がある気もするのですが。

 ちなみに、芝栗、子供の頃山で採ってきて食べましたよ(^_-)-☆

 
Posted by 弘井文子 at 2021年11月30日 11:58
柴栗は縄文びとのゆきかえし峠の道に転がりており

作者が実際にみた光景としては「芝栗が峠の道に転がっていた」ということだけなんですが、そこに「縄文びと」を登場させることで悠久の時間的なスケールを感じさせる奥行きのある歌になりました。現代も1万年前も変わらない光景がそこにあるのだと思うとロマンを感じます。そして、このモチーフを大仰にせず淡々とした文体に収めたところも好感を抱きました。
「ゆきかえし」はやはり「ゆきかいし」が正しいと思います。
Posted by 寺阪誠記 at 2021年12月04日 14:40
芝栗から縄文へとイメージが豊かに飛ぶ1首だと思います。
わたしは結句のシンプルさが、かえって広がりを持たせていると感じました。
「芝栗」は「柴栗」の別表記でしょうか?縄文と響かせるなら「紫」ではなく「芝」の方が表記の見た目のイメージは合うと思います。(栗自体の色合いは変わりませんけど)
Posted by 吉浦玲子 at 2021年12月13日 20:32
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