スマートフォン専用ページを表示
短歌人ネット歌会場
短歌人会の公式なネット歌会会場です。
閲覧はどなたさまもできますが、出詠およびコメントは短歌人のメンバーのみに限定させて戴きます。
<<
第47回ネット歌会詠草/7
|
TOP
|
第47回ネット歌会詠草/5
>>
2021年11月22日
第47回ネット歌会詠草/6
こんなにも家族はゐないはず玄関の傘たち折れたりへしやげたり
【関連する記事】
第47回短歌人ネット歌会作者名発表
第47回短歌人ネット歌会詠草一覧
第47回ネット歌会参加者一覧
第47回ネット歌会詠草/1
第47回ネット歌会詠草/2
第47回ネット歌会詠草/3
第47回ネット歌会詠草/4
第47回ネット歌会詠草/5
第47回ネット歌会詠草/7
第47回ネット歌会詠草/8
第47回ネット歌会詠草/9
第47回ネット歌会詠草/10
第47回ネット歌会詠草/11
第47回ネット歌会詠草/12
第47回ネット歌会詠草/13
第47回ネット歌会詠草/14
第47回ネット歌会詠草/15
第47回ネット歌会詠草/16
第47回ネット歌会詠草/17
第47回ネット歌会詠草/18
posted by 短歌人会 at 00:19|
Comment(6)
|
第47回歌会
|
|
この記事へのコメント
表現上は二句めの字余り9音に特徴があり、玄関に乱雑に傘が置かれている、あるものは床に倒れていたりする様子を表現する意図もありそうに思えました。
こんなにも家族はゐない玄関の傘たち折れたりへしやげたり
と二句めが定型でも十分に意味は通じます。
四句目の字余り8音も「4・4」でリズムに停滞が生じますが、これも傘の折れた様子の表現なのかもしれません。
突然の雨に見舞われたり、置き忘れたりして要らない傘を買ってしまうというのはよくあることです。それはともかく主体の家族構成が何人なのかで読み方も変わってきます。
独身なのに折れたりへしゃげたりした傘がたくさんある、家族がたくさんいるわけでもないのにとわざわざ詠うのは自虐を感じます。
また家族が若干名いる場合は、それぞれが好き勝手に傘を買い、乱雑に置き捨てている、そういう様子を嘆いてみせた。
いずれにしても興味深く読める一首と思います。
Posted by 光本博 at 2021年11月26日 19:26
独特の破調が印象的で、意図的にカクンカクンとするリズムのお歌ですが、不思議ととても心惹かれます。
「ゐないはず」「へしやげたり」など、旧かなの表記も、どこか嘯くようなユーモラスな味わいを深めていると感じました。(まだ自分は旧かなをうまく扱うことができないので、憧れます。)
Posted by 伊藤まり at 2021年11月27日 21:52
こんなにも家族はゐないはず玄関の傘たち折れたりへしやげたり
こんなにも/家族はゐないはず/玄関の/傘たち折れたり/へしやげたり と区切って読みました。結句は字足らずになってますが意味内容とマッチしていて(韻律が「へしやげ」ている)、表現上すぐれた効果をもたらしていると思います。二句の字余りは光本さんご指摘のように玄関に収まりきらない乱雑に置かれた傘を表しているのだとしたら、作者の確かな技術におどろきます。意味内容的にも「ゐない」と断言してしまうより、「ゐないはず」と想像の余地を残しておいた方がおもしろいと思います。
Posted by 寺阪誠記 at 2021年12月04日 14:55
リズムがおもしろくとても好きです。
もしも傘が家族の数にぴったりあっていたとしても「折れたりへしやげたり」で全然使えないというところもよいと思いました。
「こんなにも」ですので玄関の傘が今まさに見える位置にこの人はいるとおもうのですが、外から帰ってきたのか、今から出て行くのか、どちらにせよなんとなく背後を感じさせて、よいホラー映画のようです。
Posted by 国東杏蜜 at 2021年12月14日 21:50
作者の肥塚しゅうです。皆さま、コメント有難うございました。
短歌の歌意はまったく分からないことは問題ですが、私は、読みは決して一つではないことを許容するものです。
この歌で「ゐない」を「ゐないはず」としたのは、断定するよりも想像を膨らませる余地をもたせたかったからです。下句の8音+5音は、その状態を表現するために、音数よりも心地よいリズム(?)を重視したかったためです。
ネット歌会は、他の方の評も参考にしながらじっくり考えてから自分の意見をコメントでき、また後日読み返すこともできるので、大変勉強になります。短歌人に入会して5年になりますが、ほとんど欠席することなくこのネット歌会には参加しています。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 肥塚しゅう at 2021年12月19日 09:40
出遅れてしまって今頃のコメントになってしまいましたが、とてもおもしろいと思った一首です。2句目の字余りは全然気になりませんでした。「はず」が断然おもしろいと思いました。家族の人数よりも傘が多いのは承知の上で、念を入れて自分自身に確認しているようなおもしろさが感じられました。5音は収まりがいいので、結句の字足らずも気になりませんでした。
Posted by 加藤隆枝 at 2021年12月21日 23:49
コメントを書く
お名前: [必須入力]
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント: [必須入力]
検索
<<
2024年03月
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近のコメント
第52回ネット歌会詠草/5
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 寺阪誠記 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/4
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 寺阪誠記 (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/3
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
第52回ネット歌会詠草/2
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/1
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 大野奈美江 (02/24)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/20
⇒ 清水 紀久子 (03/08)
⇒ 堀部明兎 (03/02)
第52回ネット歌会詠草/15
⇒ 寺阪誠記 (03/07)
⇒ 大野奈美江 (02/23)
⇒ 堀部明兎 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/19
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/12
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 花澤孝 (02/26)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 伊藤まり (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/8
⇒ 堀部明兎 (03/01)
⇒ 大野奈美江 (02/25)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
最近の記事
(01/01)
短歌人ネット歌会のお知らせ
(03/19)
第52回短歌人ネット歌会作者名発表
(02/17)
第52回ネット歌会参加者一覧
(02/17)
第52回短歌人ネット歌会詠草一覧
カテゴリ
日記
(0)
歌会告知
(6)
第1回歌会
(40)
お知らせ
(4)
第2回歌会
(32)
第3回歌会
(40)
第4回歌会
(48)
第5回歌会
(32)
第6回歌会
(33)
第7回歌会
(38)
第8回歌会
(35)
第9回歌会
(43)
第10回歌会
(36)
第11回歌会
(31)
第12回歌会
(31)
第13回歌会
(34)
第14回歌会
(32)
第15回歌会
(32)
第16回歌会
(30)
第17回歌会
(33)
過去ログ
2025年01月
(1)
2024年03月
(1)
2024年02月
(23)
2023年09月
(1)
2023年08月
(18)
2023年07月
(1)
2023年03月
(1)
2023年02月
(27)
2023年01月
(1)
2022年09月
(1)
2022年08月
(22)
2022年07月
(1)
2022年03月
(1)
2022年02月
(28)
2022年01月
(1)
2021年12月
(1)
2021年11月
(27)
2021年09月
(1)
2021年08月
(24)
2021年07月
(1)
こんなにも家族はゐない玄関の傘たち折れたりへしやげたり
と二句めが定型でも十分に意味は通じます。
四句目の字余り8音も「4・4」でリズムに停滞が生じますが、これも傘の折れた様子の表現なのかもしれません。
突然の雨に見舞われたり、置き忘れたりして要らない傘を買ってしまうというのはよくあることです。それはともかく主体の家族構成が何人なのかで読み方も変わってきます。
独身なのに折れたりへしゃげたりした傘がたくさんある、家族がたくさんいるわけでもないのにとわざわざ詠うのは自虐を感じます。
また家族が若干名いる場合は、それぞれが好き勝手に傘を買い、乱雑に置き捨てている、そういう様子を嘆いてみせた。
いずれにしても興味深く読める一首と思います。
「ゐないはず」「へしやげたり」など、旧かなの表記も、どこか嘯くようなユーモラスな味わいを深めていると感じました。(まだ自分は旧かなをうまく扱うことができないので、憧れます。)
こんなにも/家族はゐないはず/玄関の/傘たち折れたり/へしやげたり と区切って読みました。結句は字足らずになってますが意味内容とマッチしていて(韻律が「へしやげ」ている)、表現上すぐれた効果をもたらしていると思います。二句の字余りは光本さんご指摘のように玄関に収まりきらない乱雑に置かれた傘を表しているのだとしたら、作者の確かな技術におどろきます。意味内容的にも「ゐない」と断言してしまうより、「ゐないはず」と想像の余地を残しておいた方がおもしろいと思います。
もしも傘が家族の数にぴったりあっていたとしても「折れたりへしやげたり」で全然使えないというところもよいと思いました。
「こんなにも」ですので玄関の傘が今まさに見える位置にこの人はいるとおもうのですが、外から帰ってきたのか、今から出て行くのか、どちらにせよなんとなく背後を感じさせて、よいホラー映画のようです。
短歌の歌意はまったく分からないことは問題ですが、私は、読みは決して一つではないことを許容するものです。
この歌で「ゐない」を「ゐないはず」としたのは、断定するよりも想像を膨らませる余地をもたせたかったからです。下句の8音+5音は、その状態を表現するために、音数よりも心地よいリズム(?)を重視したかったためです。
ネット歌会は、他の方の評も参考にしながらじっくり考えてから自分の意見をコメントでき、また後日読み返すこともできるので、大変勉強になります。短歌人に入会して5年になりますが、ほとんど欠席することなくこのネット歌会には参加しています。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。